と其時考へた。そして十月の或る日曜日にそれを為上げた。まだ試《ため》しずりを見ないからどういふ風に出来るか分らない。始めはもち[#「もち」に傍点]の葉を克明に写して暗い背景としようと思つたが、あまり煩はしい故、藍一色にした。

 それからは天下の草木、どれを見ても表紙の図案に見えぬものは無い。殊におほけたで[#「おほけたで」に傍点]の紅花のふさふさと垂れるのは頗る食慾をそそるのであつた。道端に有るゆゑ日々目に附く。
   おほけたで今日も盛りと見て過ぐる
 このおほけたで[#「おほけたで」に傍点]の有る庭の近くには山茱萸の木が有る。さんしゆゆ[#「さんしゆゆ」に傍点]は東京に在つては、とさみづき[#「とさみづき」に傍点]、いぬのふぐり[#「いぬのふぐり」に傍点]などと共に春を告げる花である。嫩緑、新芽を思はせるさんしゆゆ[#「さんしゆゆ」に傍点]の花の一杯に咲き乱れたところ、ゆつくりと写生して見たい。
 同じく季節は違ふが、古び汚れた白茶色の壁に蔦の茎が蔓延し、初夏嫩葉をつけたのは自らなる唐草模様である。
 今年であつたか青龍展に姫女※[#「※」は「くさかんむり」+「宛」、第3水準1−90−92、109−9]《ひめぢよをん》を大きな紙にいつぱい画いた人があつた。この草の茎は時として人の胸に達する高さにもなるが、其画では人の頭までほど高く、従つて花は菊の花ぐらゐの大さに為上げられてゐた。青龍展のこの悪趣味をわたくしは私かにメガロマニアと呼んでゐるが、あれを尺大に縮めてくれたら、好い本の表紙になると思つて看て過ぎた。
 ちからしば[#「ちからしば」に傍点]などといふ雑草が群り繁るのを見ると、これも図案になる。めひしば[#「めひしば」に傍点]のはびこる空地は、その柔らかさ駱駝の毛の織物に優るとも劣らぬ感じである。あれをゆつくりと写したら類のない本の表紙とならう。
 或日或処でふと窓の外を窺ふと、秋の暮に近い弱い日が羽目板の裾に当り、禾本科の草の蔭をシルヱツトのやうに写してゐた。それに濃淡が有り、而も自然の奥行を想像せしめた。是こそ絶好の本の表紙だと思つた。その草はと目を移すと、なほ幾ばくかの穂を止めたえのころぐさ[#「えのころぐさ」に傍点]であつた。こんなものも見方によると、あんなにも美しい模様になるかなと嘆ぜざるを得なかつた。

 そしてたふとい日曜日のいくつかを費してなほ三枚の本の表紙の図案を作つた。その一つは藍、紫の実を垂らしたひいらぎなんてん[#「ひいらぎなんてん」に傍点]の葉と茎とである。これは家の門内の籬に沿うて植ゑられてゐるものである。地《ぢ》の色は濃茶《こいちや》である。それに若茶柳から松葉納戸・明石鼠に至るまでのさまざまの色をした葉が乱れ垂れるのである。
 も一つは藤の葉である。縁日の鉢植ゑを庭に移すと一二年はなほ花を開いた。近ごろは花は咲かず、其葉、其蔓が低く地を被ふ。或る十月の日曜日の朝ふとそれに目を移すと、黒く古ばんだ硬い葉の間に、杪春の新芽を思はせるかよわい小葉が雑つてゐる。其一つ一つの葉弁のねぢれた様はロダンを酔はしめた裸女の腰のひねりにも似ている。これを写さでは有るまいと思ひ、鉛筆で輪廓を取り、好半日を費した。それからは、夜、為事をしまつたあと、三十分、一時間づつ地の色を伝した。葉・茎を白く抜くのであるから、幾夜かを費した。そしたら白く抜けいでた葉に彩色をするのが惜しくなつた。甚だ不倫な言ひざまで恐縮の極であるが、わたくしはレオナルドオのモナ・リザよりは寧ろ其サン・ジエロニモの画を愛する。レオナルドオのあの鋭くして柔軟な素描《すがき》を残したジエロニモこそ世にもこよない物である。ああ丹念に油彩で為上げると、モナ・リザの神秘な微笑も硬くいかめしいものになる。夜郎のこの藤の葉も白く残して置きたかつたが、過猶不及といふ孔夫子の戒に背いてしまつた。わたくしは藤の葉を螺鈿貝のやうに明るく光らせたかつたが、塗り上げたかつたが、出来上つたものは、頗る英米的の合理主義になつてしまつた。
 この夏仙台に往つた時、小宮豊隆君がも一度其著書の為めに表紙画を作れと云つた。まだその積りでゐるかどうかは知らぬが、このうちの一枚はひそかに其為めに画いたのである。

 やはり十月の或朝の事であつたが、わたくしが学校へ行かうとして門をあける前に、その小庭に不思議なものを見た。カステラの屑が一ところに落ちかたまつてゐるかの如き様態のままである。
 ポルツガル人は日本にカステラの製法を伝へた。数年前日本に在つたポルツガルの公使カルネイロ氏の説く所に拠ると、ポルツガルではそれを Bolo de Castella' エスパニヤの菓子といふ。それからカステラといふ日本語になつたのだらうと云ふことである。同じポルツガル人《びと》はシヤムにもスポンジケイクの製法を教へた。シヤムではそれを Kanom Farang と呼ぶ、シヤムには尚 Oeufillet の菓子を伝へた。そのシヤムの名は Foi Thong である。近ごろけぶな事と思ひ、食指動き、片唾をのみつつ近く熟視すると、それは一種の蕈であつた。河村清一博士の蕈の図譜がいまちよつと見当らぬから、其名を知る由がないが、其一つ一つの大さは小指の先ほどであつた。無論大小がある。それは真竹の根の地上に三寸ばかり現はれた処に発してゐた。其まはりには乾いた土が、蟻の塔のやうな明るい粒々で、梨子地の箒目を描いてゐた。夕日が竹叢に当ると地面に参差交横の稀影を描いた。或る日曜日の午後は空が雲で被はれてゐた。地上に紙を展べてこの蕈のむれを写し、添ふるに二三片の柘榴の落葉を以てした。昔風の年寄りの江戸褄のやうになり、予期した効果を得ることが出来なかつた。

 朝早く大学の池の畔に行つて、濁つた水の上に張り出した椎の太幹と其葉とを写したことがあつた。この頃は見たままの写生を自らなる図案にするといふのが目あてであつた。顕微鏡でのぞく黴の類《たぐひ》にも其器官に美しい装ひをするものがある。何の必要であらう。何物の為めの装飾であらう。考へたつて分りやうはない。蝨といふいやしい虫でも、其棲む環境に対する聯想を離れて、生きた姿其者を窺ふと、甲冑いかめしい美しいつくりである。然しそれとて、我々が考へるやうに「美」の為めに出来上つたものではない。食ふか食はれるかの必然がそこに到らしめた結果である。凡て好く生きるものは美しい。年頃の人には女の乳房さへ美しく見える。戦も亦美しい。より好く生きようといふ民族の願望がそれを美と感ぜしめるのである。老いたもの朽ちたものも美しいといふ人がある。それは憐みの心がさう思はせるのであらう。老いた人が次の代の為めに夢を伝へる姿は、それは本来の美しさである。密林の朽木がわかい下草の肥《こやし》になる犠牲の様態には、畏敬に伴ふ美があらう。
 アナトオル・フランスの小説の中に、フランスの民族は世界の文化の為に十分の貢献を尽した。よしんば其国が滅んでも思ひ残す所は有るまいといふ句があつた。どの小説であつたかと、その後捜して見たが、つひ見当らなかつた。その句はフランスの讖をなした。然しさう云ふ風に自ら憐むの美を以て得心することが出来ようか。
 未来に栄える実用を包蔵しないものも亦美であらうか。わたくしに在つては心悄然たる時には美を感じない。わたくしが庭、小径の草木を見て心を動かし、それを本の表紙の図案に為立てるのにも、わたくしの感知しない、未来に栄える実用を伴ふものが、向ふかこつちかどつちかのうちに有るからだと思つてゐる。この忙しい今の時の幾日かをかかる戯れに費したことは、かうとでもいひわけしないと心がおさまらない。それにしても八月、九月、十月はなほ多少の閑があつた。十一月に入つて寸刻の余裕もない。「文学」から原稿を求められ、十一月のいまの日になつて更に催促を受けた。それでいつか書きかけて置いたこの原稿を、今夜いそいで書き足したが、時計を見ると既に午前一時を過ぎてゐる。あすはまた沢山為事がある。朝起きるのがつらいからと思つて、ここで筆を擱くことにした。(昭和十七年葭月既朔)



底本:「日本の名随筆 別巻87・装丁」作品社
   1998(平成10)年5月25日発行
底本の親本:「木下杢太郎全集 第一八巻」岩波書店
   1983(昭和58)年2月発行
入力:加藤恭子
校正:菅野朋子
2000年10月30日公開
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