して餘りに苛酷過ぎたと思ふのだらう。そのうちでも母と姉とは最も悲しむだらう。この二人の人の悲傷は、自分の死を弔ふに十分である。彼等の涙は慰藉である。唯……自分が生前に何等の譽《ほまれ》を持つてゐなかつた事は物足らない。せめて自分が中學の特待生でもあつたら可《よ》かつたらう。……
自分の死といふものを中心にすると、諸《もろもろ》の聯想は夕立前の雲のやうに蜂起するのであつた。
そんな風に、富之助が自分の空想に沒頭して居るうちに、何時か足が小さい橋の上に停つてゐた。其下の川は、そこで直接大河に注ぎ、四邊の眺望が好かつたから、大勢の人がその上に集つてゐた。折柄向ふ岸の空が異常に赤く、まつ黄いろな大きな月が悠々と地平から離れる所であつた。
その時富之助は自分を迎ひに來た女中に發見せられた。
「富之助さん、お迎ひに上りました。」とその女中が言つた。「東京のお客さんがお着きになつて、皆貴方が何處へ行つたかつて心配してゐます。」
富之助はそこで重い氣になつて、家の方へ歸つた。
下の八疊間に明るい電燈が點いて、鹿田がひとりで新聞を見てゐた。
「やあ失敬。」と挨拶した富之助の聲は異常に顫《ふる》へてゐた。
富之助のおつ母さんが出て來て、柔和に富之助をたしなめ、そして客に丁寧に其子の我儘を謝した。そんな事をしなくつとも可いのにと腹の中では思ひながら富之助は默つてゐる。
もう庭に蟲が鳴き出したりしてゐる。そこへ夕飯の仕度が運ばれた。姉が一生懸命にはたらいたと見えて常には拵へないやうな料理が澤山出來てゐた。富之助は自身の姉を不憫《ふびん》に思つた。何にも知らない故に自分に害意を有してゐる人の爲めに、あつたらの骨折をする。さう思ふと自分の男らしくないことが腹立しくなつた。何故自分は何もかも悉皆《すつかり》姉に言つてしまはないだらう。姉は今危地に居る。それを知つてゐる自分が親身の姉を救ふことが出來ない。若しその事を言へば自分に不信の友があることが分る、それが分れば自分が何よりも大事にしてゐる祕密が曝露する。富之助は殆ど食慾がなく、いろいろの事を思ひ煩ひながら、唯器械的に手を動かす。その傍で姉は給仕をしてゐるのである。ちやうど心の清い尼さんが僧形《そうぎやう》をした貪婪《どんらん》の惡魔の前にゐるかと思はれるのである。
夕飯が終つてから富之助は鹿田を連れてしぶしぶ散歩に出た。まづ河
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