、かの大河と海との大爭鬪よりもむしろこの方が活動の印象に富んで居て、そしてこの平和の町に一味の生氣を賦《ふ》して居るのである。
遠海《とほうみ》も、大河も、町の家並も、汽車も、凡て八月のこの曇つた一日を平和に送つてゐるらしく見えた。
所が停車場からさう遠くない小高い所に一軒のしもた屋があつた。まだ年の少い一人の男の子が時々その屋根の上に登つてゐた。誰も然しこの少年に特別の注意をするものとてはなかつた。と云ふのは今日朝から始終その少年の行動を注視したものは誰もなかつたからである。もしさうしたならばその人には多少不思議な感じを起したかも知れない。何故となるとこの少年はたつた一度屋根へ登つたのではないからである。午前の十時ごろにも登つた。正午にも登つた。そして二時過ぎにも登つたのである。更に注意深い人はこの時刻が全く偶然的のものではないと云ふことに氣が付く筈であつた。といふのはその時刻こそは、東京からの汽車がこの町の停車場に着く時であつたからである。即ちこの少年はこの町に着く汽車に對して何等かの利害を感じてゐたのである。それが單に遠くから段々と近《ちかづ》いて來る汽車の運動を眺めるだけの興味だつたらうか。それともこの汽車に乘つて、強く少年の興味を引く誰かが來るのであつたらうか。
然し少年のこの行動は全く誰の注意をも引かなかつた。即ち少年が二階の屋根に登つたのを見た人があつても、之をば全く何等の意義もない惡戲として輕々に看過したからである。もしこの靜かな町を見下してゐる人が之を見つけたとしたら、きつと一種の興味ある點景人物として喜んだに相違ない。
ところが實際は決してそんなのんきな事ではなかつた。かの少年に取つてはこの二階の屋根に登るといふ、一見滑稽な惡戲が、實に重大な事件であつた。
少年が屋根へ登る家は小さな川のそばにあつて、黒塀が※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11、229下−27]《めぐ》つて居る。建物は古いけれども、何となく鷹揚《おうやう》な間取で、庭も廣い。裏手は極《ごく》疎《まば》らな垣根で小川に接して居る許りであるが、そこには欅《けやき》、樫、櫻、無花果《いちじゆく》などの樹がこんもりと繁つて居り、低い葡萄棚の下が鷄の小屋になつて、始終鷄の聲がしてゐる。
今言つた二階は大きな銀杏樹《いちやう》と柿の樹との爲めに好く見えないが、
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