が、向ひの家の瓦の壁の前に積み上げられた石の下に跼んでゐた。さうして何かぶつぶつ口小言を云つて居るのであつた。
「ああ、爺さん、お前か?」
と驚いて自分は叫んだ。同時にこの老爺の事について、かつて聞いた事を思ひ出して急に可笑しくなつた。
もと自分が日本橋の裏通りの居酒屋へは入つた事があつたが、その時、親子づれの浪花節語が門口で国定忠次を語つて行つたあとで、居酒屋の内でもてんでんに調子づいて、いろいろの歌を歌ひ出したのに遭遇した。その時此老爺もその席に居た。さうして歯の抜けた口で以て、自分も仲間に加はつて、ぼけたやうな「我ものと思へば軽し」を歌ひ出した時には、みんな笑わずには居られなつた。
その時聞いた話があるが、この老爺はもと東京の士族で、さらぬだに零落しやすかつた維新後の士族の中に、更に酒と女とで到頭この年まで河岸の軽子にまで落ちぶれたのださうだ。それでも殆ど毎晩欠かさずに此酒場にくる。だが、歌を自分が歌つて笑はれたのは其晩初めてだと云ふ。自分こそ歌はないが、歌は本当の好きで、この酒場を出れば屹度どこかの寄席の近くへ往くんださうだ。金沢はすぐ高座の下が往来だから、よくそこでその地びたの上に寝てゐるのださうだ。
「ぢいさん、また来たな」と、さういふ話を知つて居たから、自分は話しかけた。今迄独言をいつて居た老爺は急に相手が出来たものだから、
「本当さ。なあ、天下の往還でえ、ぺらんめえ、何つてやがるだ」とやや声高に自分に云つた。
……それから、自分はぢき歩きだした。京橋の通りに出ても、実際だつたのか、それとも耳鳴りだつたのか、まだかすかに長唄の三味線が聞こえて居た。
底本:「日本の名随筆 別巻95 明治」作品社
1999(平成11)年1月25日第1刷発行
底本の親本:「木下杢太郎全集 第七巻」岩波書店
1981(昭和56)年6月
入力:浦山敦子
校正:noriko saito
2007年8月10日作成
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