に抱へた大學生や、鼠の二重廻の男、洋服を着た十三四の女の子、その紫紺色の外套が殊に美しかつたことやなどが大勢集つてゐて、一種の繪模樣を造り出して居た。
昨夜は近い山に雪が降つた。かう云ふ事は南方の海國には珍しいので、人々はその噂を以て朝の挨拶に代へて居た。で、町の人は皆朝日を受けた山を見たのである。山腹の畑、松や蜜柑の樹、また遠山の皺《しわ》、それらの上には紫いろの白い雪が積つて、そのあひまあひまの山の色は種々《いろいろ》な礦石で象眼したやうに美しい。殊に遠い峰は赤沸石《エエランヂツト》のやうな半透明な灰緑色を呈して、ぼんやりと漠々たる大空の内に沈んでゐる。唯ここかしこに白雲の※[#「さんずい+翁」、第4水準2−79−5]淡が――鋭く小刀で、彫まれたやうに――風もないのに動いて居る。
「成程ゆうべは寒《さみ》いともつたら、ほれ山《やま》ああんなに積つた。」で濱に立つ漁夫《れふし》でも、萬祝の古着で拵へた半纏で子供を背負つた女房でも、皆《みんな》額に手を翳して山の方を見た。
汽船に乘つてから町の方を見ると、一列の人家が山脈の直下に見え、三千石の平地がその下にありさうには思はれない。見送人の歸りゆく樣、また始められる其日の仕事などが遠くに見える。何《なん》か人生といふものの機關《からくり》、その歸趨、その因果が明かに久遠の相下に見えるやうな氣がして妙な心地になつた。
その内に鐘がなつて、Go《ゴオ》 off《オフ》 ! が人から人に傳へられた。
底本:「現代日本紀行文学全集 東日本編」ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日初版発行
初出:「三田文学」
1911(明治44)年6〜7月号
入力:林 幸雄
校正:松永正敏
2004年5月1日作成
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