−4、261下−26]の圖書を蒐《あつ》める便宜もなくなり、專ら親試《しんし》に頼るのみである。そして既に五十幾種かの自然生の葉莖を食べ試みた。少し煩瑣《はんさ》に亙《わた》るが、その名を、思ひついた順序に書き附けて見よう。
 ハコベ。ウシハコベ。タンポポ(葉と根と)。オニタビラコ(葉)。春如※[#「※」は「くさかんむり+宛」、第3水準1−90−92、262上−3]。タチツボスミレ。枸杞《くこ》(葉)。イロハカヘデ(葉)。山吹の新芽。藤の芽と蕾。榎《えのき》の新芽。ギバウシユ。ナヅナ。ヤブカンザウ(新芽)。ツハブキ(莖)。雪の下の嫩葉。ミミナグサ。スズメノヱンドウ。ヒルガホの嫩葉。ツクシ。アカザ(嫩葉及び果實)。カタバミ。ネズミモチの實(炒《い》り粉にしてコオヒイの代用)。ヨメナの新芽。椋《むく》の新芽。桑の新芽。柿の新芽。オホバコ。イヌガラシ。オホバタネツケバナ(水上の葉)。ヰノコヅチの新芽。トトキ(ツリガネニンジン)。スズメノヤリ。イヌビエ。ユヅリハの新芽。ジヤガタラ薯の新芽。ハマビシヤ(ツルナ)。ツユクサの嫩葉。スベリヒユ。クサギの嫩葉。スミレ。ツボスミレ。カラスノヱンドウの莢《さや》等。
 ここは其の處でないから其調理法や風味の事はあげつらはない。唯優秀と思はれる數種についてのみ、少しく説明する所があらう。
 トトキ、ヤブカンザウ、ギバウシユ、ヨメナ、雪の下、オホバタネツケバナなどは雜草と云つても、昔から風流の意味で人が嗜《たしな》み、世間の評價も既に定まつてゐる。ヤブカンザウの新芽、オホバタネツケバナなどは栽培の野菜に劣らざる味を有してゐる。
 ツユクサの新芽は今年始めて試みたが、大に推奬するに足りるものである。佳品としてはアカザの實のつくだ煮を擧げたい。紫蘇《しそ》の實、唐辛《たうがらし》の實を少し雜ぜて之を作ると、朝々の好菜となる。次にはタチツボスミレの天ぷらである。粘液質で、齒當りが甚だ好い。太いタンポポの根もいろいろと使ひ道の有るものである。
 可食野菜の事は先づこれぐらゐにして置かう。相當に念を入れて食べ試みたから話すことはまだ澤山有るが、たいして詩的のものではなく、同好の人と談ずべく、世間に吹聽《ふいちやう》するまでの氣にならない。また吹聽するにはもつと十分の用意がいる。量と質とに於て、實際長期に亙る補助食物としての資格が有るか。榮養價は果して幾何《いくばく》。いまだ檢出せられざる微量の毒物を、含有してはゐないか。是等の問題はまだ詳しくは研究せられてゐず、僕としてさういふ研究に入りこむ餘裕を持つてゐるわけではないのである。

 それで最後に殘つたすかんぽ[#「すかんぽ」に傍点]の話へと急ぐ。別にこれと云ふほどの事の有るのではなく、唯幾十年ぶりかにそれを食べて見て、「白頭江を渉《わた》つて故郷を尋」ぬる人の如き一種の感興を得たと云ふに止るのである。
 大學構内の公開の場所には今やどこにもすかんぽは見つからなかつた。恐らくは大震災後根が絶えたのであらう。所が農學部の裏門からはひる小徑のわきの地面に其|聚落《しゆうらく》の有ることをふと見付けたのである。花莖はいまだ甚だ伸びず、なほ能《よ》く水分を藏し葉柄《えふへい》もかなり太かつた。數日後の夕、寄道してその少許《せうきよ》を採取し、クロオルカルキとか云ふもののうちに漬くること一日、之を短く切つて、まだ廚房に少し殘つてゐた油と鹽とを點じて食べ試みた。そしてその酸き味のあとに舌に觸れる一種の※[#「※」は「くさかんむり+郷の中を皀に換えたもの(郷の旧字)」、第3水準1−91−29、262下−3]澤《きやうたく》に邂逅して、忽然として疇昔《ちうせき》の情を囘想したのである。
 すかんぽ[#「すかんぽ」に傍点]の話は之を以て終る。一箇月以來胃腸に疾《しつ》を得、可食の雜草からは遠ざかつてゐる。
(乙酉《きのととり》六月上浣)[#地より1字上げ]
(昭和二十年七・八月)[#地より1字上げ]


底本:「現代日本文學全集」筑摩書房
   1968(昭和43)年4月5日初版発行
※本作品中には、今日では差別的表現として受け取れる用語が使用されています。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、あえて発表時のままとしました。(青空文庫)
入力:伊藤時也
校正:小林繁雄
2001年1月24日公開
2001年1月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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