にも都門を去つて遠く任に赴《おもむ》く人さへも出來て來た。會者定離《ゑしやぢやうり》の悲が葉櫻の頃には心を動かした。

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「ふるき仲間も遠く去れば、また日頃顏合せねば、知らぬ昔とかはりなきはかなさよ。春になれば草の雨。三月、櫻。四月、すかんぽの花のくれなゐ。また五月にはかきつばた。花とりどり、人ちりぢりの眺め。※[#「※」は「あなかんむり+「聰」のつくり」、第3水準1−89−54、261中−16]《まど》の外の入日雲。」
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 さう云ふ述懷を作つたことがある。後に山田耕筰君が作曲してくれ、ラヂオでも時々唱はれた。もはや其時の感傷もなく、他人事《ひとごと》のやうに知らぬ人の歌ひ彈ずるを聽聞《ちやうもん》した。
 殊にひそかに此歌を獻じた一友とは、大正末年以後唯二囘遭遇しただけである。一生のうちにも一度會へるかどうか疑はしい。會つたところで、往事、黒田清輝先生の處からその「小督《こがう》」のデッサンを借りて來て互に感奮して話し合つたやうな氣分は到底|釀《かも》し出されぬのであらう。

 所がすかんぽの話に後日譚が湧出した。それがまたこの藥袋《や
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