傍点]とを見付けたのも此路の傍であつた。ほととぎす[#「ほととぎす」に傍点]はその花瓣の斑《ふ》が普通のものとは異つてゐた。いづれも唯一株だけ生えてをり、その附近には同じ花を見なかつた。水の溜つた田のわきにはおほばたねつけばな[#「おほばたねつけばな」に傍点]の[#底本では誤って「の」にも傍点]聚落《しゆうらく》が有つた。おらんだせり[#「おらんだせり」に傍点]に似るこの十字花科植物の一種の風味有つて食ふに堪ふることは、今年始めて之を知つたのである。

 さて、前に話した鹽はこれからいり用になるのである。この川に添うて、またかのすかんぽ[#「すかんぽ」に傍点]が簇生《ぞくせい》して居り、幼年の者しばしばそれを嗜《たしな》むのである。花の莖の太く短く、青女《あををんな》の前膊《ぜんぱく》の如き感じを與へるのが最も佳味であつた。その折れ口に鹽をつけて食ふと、一種の酸味と新鮮のにほひとが有る。柄の太い嫩葉《どんえふ》は鹽を振りまぜて兩掌の間に摩《も》んで食ふのである。緑色に染まつた手をば川の水で洗ふ。いたどり[#「いたどり」に傍点]もこの川の縁に生えてゐたがアスパラガスのやうに太く軟い莖は、もつと山深くはひらないでは見出されない。
 かかる因縁の有るすかんぽ[#「すかんぽ」に傍点]だから學校の庭にそれを見付けると、ああこんな處にも生えてゐると思つて、なつかしく感じたわけであつた。そして試みに其一莖を取つて口に入れて見ると、唯酸いばかりでたいしてうまいとも思はなかつた。子供の時とおとなになつてからとは味感も變つて來るものかなと其時は考へた。

 話はまた小學校時代に戻るが、やはり春の終りの頃、山※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11、260下−3]りをする父に從つて山澤の杉、新墾の傾斜地の檢分に往つたことが有る。家からは下男も一緒であり、途中からは、山の番を頼んである「宗さん」といふ人が加つた。杉の樹の檢分と云ふやうな爲事《しごと》はちつとも面白くなく、退屈し切つたが、その時、澤のきれいな水のほとりで喫した中食の事をば、いまでも朦朧と囘想することが出來る。
 竹の皮を擴げるとま白い米の三角の握飯が三個現はれて來る。其一面にはつぶさない味噌が塗つてあり、その一部分が黒く焦げてゐる。わきにうす赤い肉の鹽鮭の切身と竹の子の煮たのとが添へてある。
「はれ、お前の辨當には箸がついてゐないな。」
 さう云つて父は立ち上り、近くの若葉をつけた灌木から、素直にますぐに伸びた一枝を切り取り、丹念に其皮を剥がし、先端を尖らしてくれた。「さあ、これで食べなさい。」
 當時は寄生蟲の害などと云ふ事をまだ世間の人が注意しなかつたので、山※[#「※」は「えんにょう+囘」、第4水準2−12−11、260下−22]りの人は皆この清冽な澤の水でもつて辨當を使つたのである。父と僕とは茶のみ茶碗に盛つて飮み、他の人は手ですくつて飮んだ。新しく作つた箸は生々とした晩春の臭ひをただよはした。
 これ以上くはしくは其時の光景や人の爲業《しわざ》を思ひ出すことは出來ない。これだけの事を思ひ出すのも、これから話すすかんぽ[#「すかんぽ」に傍点]からの聯想ゆゑである。
「お前あれを知つてゐるか。[#底本では句点が抜けている]」と父が云つて指さした。
 水の流の一方にさはさはと、其すかんぽ[#「すかんぽ」に傍点]の一群が繁茂してゐたのである。それから高まる莖は太く、みづみづしく、いかにも軟かさうである。折つたらぽかりと音を立てて挫《くじ》けさうである。
「あれは食べられるよ、知つてゐるか。」と父が再び問うた。
 言下に「さうかね、たべられるのかね」と僕が答へた。そして、その積りでもなかつたが下男の顏を見た。下男の顏は僕に取つて堪へられない表情が浮んでゐるやうに邪推した。
「一本取つてたべて見な。澤山食ふと毒だが、一本位構はなからう。食べたことが無けりや一つ食べて見な。」
 そして父は數莖を取つて一座の中央に置いた。鹽がなかつたから、握飯の味噌の一ひらを取つて附けて食べた。
 すかんぽに關する第二の話は正味これだけである。もはや其時からはあまりに長い歳月が經過してゐる。青年時代にはまだ樂しい囘想であつた此時の光景が、今では唯一兩百語で話し盡される事柄以外では無くなつてしまつた。

 中學から高等學校、それから大學と、われわれの仲間には繪事や文學を好むものが少からず居た。時世が時世であつたから、大學生の時代には學外の新詩社、方寸社等の人々とも其道でのつき合ひをした。しやれて云へば、文酒の會といふべき事も時折り行はれた。「屋上庭園」といふ三號雜誌を刊行したのもその頃の事である。
 大學を卒業した。さうすると專門の學問と日々の業務とが待つてゐた。更に一二年すると同好同學の伴侶
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