んのね、結婚してから。』
と男にも思出して、種々のことを、結婚前の楽しかったことまでも、思出して下さいと云ふやうに云った。
『さうだなァ。』男も眼を上げて云った。
『たった三年にしかならないんだな。けれども、俺たちはいろ/\苦労したなァ。』
『本当にね。』彼女は、また眼を伏せてあの絵を見ようとした。が、すぐに、
『けれども、まだ三年しか経たないんですものね。』と、なにか大きな、彼女にはわからないけれども、なにか大きな希《のぞ》みを彼に話さなければならないやうに瞳を輝かした。
『さうだ、一日々々いろ/\なことに疲らされなやまされ苦しまされても、二年はもう過ぎたんだからな。もうしばらくすると、坊やも歩るくやうになるんだから。』
男は、手持ぶさたのやうにスプーンを持って立ってる子供を見た。彼女は、すぐに嬉しさうに、
『坊や。』と大きな声を出した、子供はそれと同時に大きな叫声を上げて、母親の顔を見ながら、
『うま/\/\/\。』とスプーンをテーブルにたゝきつけた。
父親は、あわてゝ子供の口に御飯を入れてやった。
彼等は、やがて箸をおいた。
『もう少しの間だ。』男は強く独言のやうに云った。
『さうね、私たちは働きませうね。』彼女は、おちついて安らかに云った。そして子供を膝の上に抱きながら、小さな乳首をだして乳をのませ初めた。
『さ、あとを片づけよう。そして寝よう、明日は早く起きようぢゃないか。』
やがて、男は立ち上った。そしてテーブルを片づけ初めようとした時、もはや子供は乳房に頬をつけて眼を閉ぢてゐた。あたりは静まりかへった。
『嵐だな。』男は、立ちどまってさゝやいた。
[#地から2字上げ](『文章倶楽部』大6・2)
底本:「素木しづ作品集」札幌・北書房
1970(昭和45)年6月15日発行
底本の親本:「文章倶楽部」
1917(大正6)年2月号
入力:小林徹
校正:湯地光弘
1999年9月5日公開
2005年12月29日修正
青空文庫作成ファイル:
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