哀悼の言葉をば、どうぞ、皆さん、影の人々の口から、とくと、お聴き取り下さいまし。
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序曲を唱う者退く。炬火を秉《と》る人々も亦その後より去る。プロセニウムはしばし暗きままに止る。
シンフォニイ再び始まる。立像消ゆ。
そのあとにて棒の三打聞える。ゴブランの幕あがり、舞台現じ来る。
場面は是《こ》れヴェネチアに近き、チチアンが別荘の高台《テラス》の上である。この高台、後《うし》ろはところどころ打崩れたる石欄に仕切られてあり。それを越えて遠方の松樹白楊の梢が見られる。後方左側には庭にと下る階段がある(こなたよりは見難し)。その下り口、石欄の前に在って、両基の大理石水瓶により見分けられる。高台の左側は急峻に、庭の方へと下り行くのである。蔦《つた》、薔薇《そうび》の蔓《つる》欄にからまり、庭苑の高き叢《くさむら》、垂れかかる樹枝などと共に、ぎっしりと深き茂陰を成す。
右側には、階段扇形に後方なる角《かど》を充し、一つの望楼にと通じている。そこから帷幔《たれまく》の掛った扉を通じて家の裡に入るようになっている。家の壁は葡萄《ぶどう》、薔薇の蔓にまとわれ、半身像を以て飾られ、※[#「片+總のつくり」、第3水準1−87−68]《まど》の桁《けた》には瓶を並べ、纏絡《てんらく》植物それより生え出でる。舞台の右方はこの壁にて仕切られるなり。
晩夏の午時《ひるどき》。石欄より登り来る階段の上にはデジデリオ、アントオニオ、バチスタ、パリスの四人|茵絨毯《しとね》の上に寝そべりている。
皆沈黙。風静かに扉の帷幔を動かす。しばらくあってチチアネルロ、ジヤニイノ二人右手の戸口より入り来る。デジデリオ、アントオニオ、バチスタ及びパリス、気づかわしげに、また物聞きたげに、二人の方に進み寄り話しかける。少時の間の後に――。
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パリス いけない?
ジヤニイノ (声を詰らせて)だいぶいけない。(涙にかきくれたるチチアネルロに)君、気の毒だな。ピッポオ。
バチスタ 眠っておいでか?
ジヤニイノ いや、起きておいでだ。しきりと空想していらっしゃる。画架を持って来いとおっしゃった。
アントオニオ だが、それを差上げるわけには行くまい。ねえ、いけないんだろう。
ジヤニイノ 医者はいいと言った。もう何もいやな思《おもい》をお為《さ》せ申すことはない。欲しいものは差上げるがいいんだ。
チチアネルロ (歔欷《きょき》す。)今日か明日《あす》かだ。それでおしまいだ。
ジヤニイノ もういつまでもあなた方にお隠しすることもありませんと医者が言った。
パリス いやいや、先生がおかくれになる筈はないんだ。医者はうそを言っているんだ。自分にも分らない好い加減の事を言っているんだ。
デジデリオ 生命を創造したチチアノ[#「チチアノ」はママ]が死ぬと云うのか。誰がそれなら生命に力、位を与えよう。
バチスタ だが御自分の容体がどんなか知ってはおいでにならないのかい。
チチアネルロ 熱のうちに、息もつかず、いつになく荒々しく、新しい画をおかき始めになった。むすめたちに傍に来て立っていろとおっしゃった。われわれには出て行けとおっしゃった。
アントオニオ 画をおかきになることは出来るのか。そんな力がお有りになるのか。
チチアネルロ まるで謎のような情熱だ。今までだって、画をおかきになる時、あんな風なことはなかった。まるで殉教者の狂熱に駆られておいでになる。
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一侍僮右手の扉より出で来る。その後ろより下僕たち。人々驚く。
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チチアネルロ ┐
ジヤニイノ  ├どうしたんだ。
パリス    ┘
侍僮 いんえ、何でもございません。何でもございませんのです。先生が庭の離れから画を持って来いとお仰《お》せになりましたので。
チチアネルロ どうなさろうと云うんだろう。
侍僮 画を御覧になりたいとおっしゃるのです。「無慙《むざん》にも色の褪せた陳《ふる》いのと、今かいている新しいのと較べて見たい。もとたいへんむずかしいと思ったことが今でははっきりと分って来た。今まで思いも寄らなかった悟《さとり》がやって来た。実際今までは仕様のないぼんくらだったわい。」こうおっしゃいますので。お吩咐《いいつけ》通りにして差支ございませんでしょうか。
チチアネルロ ああ好い、往け、構わない、早く往け。お前たちがぐずぐずしていれば、その刻々お苦しみになるんだ。
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その間に小厮《こもの》たちは舞台を行き過ぎてしまう。階段のところで侍僮、小厮たちに追いつく。チチアネルロは足を爪立てて歩み寄り、そっと幕を掲げて後方に入る。あとの人々は心安からぬ
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