大小《だいせう》も遠近《ゑんきん》もなくほうけたり未生《みしやう》の我《われ》や斯くてありけむ
夢
何者か我に命じぬ割《わ》り切れぬ數を無限に割りつゞけよと
無限なる循環小數いでてきぬ割れども盡きず恐しきまで
無限なる空間を墮《お》ちて行きにけり割り切れぬ數の呪を負ひて
我が聲に驚き覺めぬ冬の夜のネルの寢衣《ねまき》に汗のつめたさ
無限てふことの恐《かし》こさ夢さめてなほ暫《しま》らくを心慄へゐる
この夢は幼き時ゆいくたびかうなされし夢恐しき夢
今|思《も》へば夢の中にてこの夢を馴染《なじみ》の夢と知れりし如し
ニイチェもかゝる夢見て思ひ得しかツァラツストラが永劫囘歸
むかしわれ翅《はね》をもぎける蟋蟀《こほろぎ》が夢に來りぬ人の言葉《くち》きゝて
何故《なにゆゑ》か生埋にされ叫べども喚《わめ》けど呼べど人は來らず
叫べども人は來らず暗闇《くらやみ》に足の方《かた》より腐《くさ》り行く夢
夢さめて再び眠られぬ時よめる歌
何處《どこ》やらに魚族奴等《いろくづめら》が涙する燻製《くんせい》にほふ夜半《よは》は乾《かわ》きて
放歌
我が歌は拙《つた》なかれどもわれの歌|他《こと》びとならぬこのわれの歌
我が歌はをかしき歌ぞ人麿も憶良もいまだ得|詠《よ》まぬ歌ぞ
我が歌は短册に書く歌ならず街を往《ゆ》きつゝメモに書く歌
わが歌は腹の醜物《しこもの》朝《あさ》泄《ま》ると厠《かはや》の窓の下に詠む歌
わが歌は吾が遠《とほ》つ祖《おや》サモスなるエピクロス師にたてまつる歌
わが歌は天子呼べども起きぬてふ長安の酒徒に示さむ歌ぞ
わが歌は冬の夕餐《ゆふげ》の後《のち》にして林檎|食《を》しつゝよみにける歌
わが歌は朝《あした》の瓦斯《ガス》にモカとジャ※[#濁点付き片仮名ワ、1-7-82]のコーヒー煮《に》つゝよみにける歌
わが歌はアダリンきかずいねられぬ小夜更床《さよふけどこ》によみにける歌
わが歌は呼吸《いき》迫りきて起きいでし曉《あけ》の光に書きにける歌
わが歌は麻痺劑強みヅキ/\と痛む頭に浮かびける歌
わが歌はわが胸の邊《へ》の喘鳴《ぜんめい》をわれと聞きつゝよみにける歌
身體《うつそみ》の弱きに甘えふやけゐるわれの心を蹴らむとぞ思ふ
手《て》・足《あし》・眼《め》とみな失ひて硝子箱に生きゐる人もありといはずや
ゲエテてふ男《をとこ》思へ
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