をば讚《ほ》め憐れみき
ある時はカザノ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]のごとをみな子の肌をさびしく尋《と》め行く心
ある時は老子のごとくこれの世の玄のまた玄空しと見つる
ある時はゲエテ仰ぎて吐息しぬ亭々としてあまりに高し
ある時は夕べの鳥と飛び行きて雲のはたてに消えなむ心
ある時はストアの如くわが意志を鍛へんとこそ奮ひ立ちしか
ある時は其角の如く夜の街に小傾城などなぶらん心
ある時は人麿のごと玉藻なすよりにし妹をめぐしと思ふ
ある時はバッハの如く安らけくたゞ藝術に向はむ心
ある時はティチアンのごと百年《ももとせ》の豐けきいのち[#「いのち」に傍点]生きなむ心
ある時はクライストの如われとわが生命を燃して果てなむ心
ある時は眼《め》・耳・心みな閉ぢて冬蛇《ふゆへび》のごと眠らむ心
ある時はバルザックの如コーヒーを飮みて猛然と書きたき心
ある時は巣父の如く俗説を聞きてし耳を洗はむ心
ある時は西行がごと家をすて道を求めてさすらはむ心
ある時は年老い耳も聾《し》ひにけるベートーベンを聞きて泣きけり
ある時は心咎めつゝ我の中のイエスを逐ひぬピラトの如く
ある時はアウグスティンが灼熱の意慾にふれて燒かれむとしき
ある時はパオロに降《お》りし神の聲我にもがもとひたに祈りき
ある時は安逸の中ゆ仰ぎ見るカントの「善」の嚴《いつ》くしかりし
ある時は整然として澄みとほるスピノザに來て眼《め》をみはりしか
ある時は※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]レリイ流に使ひたる悟性の鋭《と》き刃《は》身をきずつけし
ある時はモツァルトのごと苦しみゆ明るき藝術《もの》を生まばやと思ふ
ある時は聰明と愛と諦觀をアナトオル・フランスに學ばんとせし
ある時はスティヴンソンが美しき夢に分け入り醉ひしれしこと
ある時はドオデェと共にプロ※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンスの丘の日向《ひなた》に微睡《まどろ》みにけり
ある時は大雅堂を見て陶然と身も世も忘れ立ちつくしけり
ある時は山賊多きコルシカの山をメリメとへめぐる心地
ある時は繩目解かむともがきゐるプロメシュウスと我をあはれむ
ある時はツァラツストラと山に行き眼《まなこ》鋭《す》るどの鷲と遊びき
ある時はファウスト博士が教へける「行爲《タート》によらで汝《な》は救はれじ」
遍歴《へめぐ》りていづくにか行くわが魂《たま》ぞはやも三十《みそぢ》に近
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