いと自己の真の位置に気付くこともあるかも知れない。)さてその最後の瞬間に至って、始めてハッとするのだろう。ハッとして、さて、それから、どうなるのだ?……そんな事をあても無く想像して見るだけで、真正面からこれについて考える気力が無く、大掃除を一日延ばしにして怠けている安逸さで、一日一日、それとの直面を惧れ避けているのであった。(それでいて、彼は、「いまだ生を知らず。いずくんぞ死を知らん」などと言った男を憎んだ。「いまだ死を知らず。いずくんぞ生を知らん」と感ずるような素質を享《う》けた人間だってあるんだ、と考えたのである。)いわば、ちょうど小説を読む時に、途中の哀れな事件――主人公がいじめられたりするような――などは読むに堪えず、ドンドン飛ばして先を読もう、結末を知ろうとして、書物の終りの方の頁を繰って見る根気の無い読者のように、――そういう人々にとっては、経過とか経路とかいうものは、どうでもよい。ただ、結果だけが必要なのだが――彼もまた、途中の一切の思索とか試錬とか、そういうものを抜き[#「抜き」に傍点]にして――そんなものには、とても堪えられない。そんなものに真正面からぶつかって行く勇気も根気も無い――ただ結局の所、ぎりぎり結著《けっちゃく》の所だけを聞きたいと思うのであった。(誰に? 神に?)「一体私たちの魂は不滅なものですか? それとも、肉体と共に滅びてしまうものですか?」不滅だという答を得たところで救われるとは思わないが、(というより、死を厭う気持の中には、自我の滅亡への恐れということの外に、現在の我の存在形式への愛着が大いに含まれていると思われたが、それをはっきり見定めることは彼には出来なかった)何としても「我」が失くなるなどということは堪らないし、それに、(これは第二次的なことだが)人間の誰もが、こんな恐怖を味わわねばならぬように出来ていることが何としても不都合に思えたのである。「永遠に生きることの恐ろしさ」? それはまた、別の話だ。俺たちは今そんな事を考える必要はない。それに、それはいわば、金の使い途《みち》に頭を悩ます金満家の贅沢《ぜいたく》ではないか、と当時の三造は、そんな風に思った。
[#ここで字下げ終わり]
二
ポケットを探って取出した部屋の合鍵が、掌にひやりとした感触を与えるほどの時候になっていた。
暗い部屋に入って電燈
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