、第3水準1−93−79]侯《そていこう》単于《ぜんう》の帷幄《いあく》に参じてすべての画策に与《あず》かっていた。李陵はこの衛律を始め、漢人《かんじん》の降《くだ》って匈奴の中にあるものと、ほとんど口をきかなかった。彼の頭の中にある計画について事をともにすべき人物がいないと思われたのである。そういえば、他の漢人同士の間でもまた、互いに妙に気まずいものを感じるらしく、相互に親しく交わることがないようであった。
 一度単于は李陵を呼んで軍略上の示教を乞《こ》うたことがある。それは東胡《とうこ》に対しての戦いだったので、陵は快く己《おの》が意見を述べた。次に単于が同じような相談を持ちかけたとき、それは漢軍に対する策戦についてであった。李陵はハッキリと嫌《いや》な表情をしたまま口を開こうとしなかった。単于も強《し》いて返答を求めようとしなかった。それからだいぶ久しくたったころ、代・上郡を寇掠《こうりゃく》する軍隊の一将として南行することを求められた。このときは、漢に対する戦いには出られない旨を言ってキッパリ断わった。爾後《じご》、単于は陵にふたたびこうした要求をしなくなった。待遇は依然として
前へ 次へ
全89ページ中54ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング