よりも、伯父と彼自身との精神的類似に関するとりとめのない考察のようなものになって行った。
四
(一) 彼の意志、(と三造は、まず書いた。)
自分がかつてその下に訓練され陶冶《とうや》された紀律の命ずる方向に向っては、絶対盲目的に努力し得ること。それ以外のことに対しては全然意志的な努力を試みない。一見すこぶる鞏固《きょうこ》であるかに見える彼の意志も、その用いられ方が甚だ保守的であって、全然未知な精神的分野の開拓に向って、それが用いられることは決して無い。
(二) 彼の感情
論理的推論は学問的理解の過程において多少示されるに過ぎず(実はそれさえ甚だ飛躍的なものであるが)、彼の日常生活には全然見られない。行動の動機はことごとく感情から出発している。甚だ理性的でない。その没理性的な感情の強烈さは、時に(本末顛倒的な、)執拗《しつよう》醜悪な面貌を呈する。彼の強情がそれである。が、また、時として、それは子供のような純粋な「没利害」の美しさを示すこともある。
自己、及び自己の教養に対する強い確信にもかかわらず、なお、自己の教養以外にも多くの学問的世界のあることを知るが故に、彼はしばしば(殊に青年たちの前にあって、)それらの世界への理解を示そうとする。――多くの場合、それは無益な努力であり、時に、滑稽でさえある。――しかもこの他の世界への理解の努力は、常に、悟性的な概念的な学問的な範囲にのみ止《とどま》っていて、決して、感情的に異った世界、性格的に違った人間の世界にまでは及ばないのである。かかる理解を示そうとする努力、――新しい時代に置き去りにされまいとする焦躁――が、彼の表面に現れる最も著しい弱さである。
(ここまで書いて来た三造は、絶えず自分につきまとっている気持――自分自身の中にある所のものを憎み、自身の中に無いものを希求している彼の気持――が、伯父に対する彼の見方に非常に影響していることに気が付き始めた。彼は自分自身の中に、何かしら「乏しさ」のあることを自ら感じていた。そして、それを甚だしく嫌って、すべて、豊かさの感じられる(鋭さなどはその場合、ない方が良かった)ものへ、強い希求を感じていた。この豊かさを求める三造の気持が、伯父自身の中に、――その人間の中に、その言動の一つ一つの中に見出される禿鷹《はげたか》のような「鋭い乏しさ」に出会って、烈し
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