《ねこばば》される懼《おそれ》が充分にある故、老人は万全を期して三人に同じ事を委嘱したのであろうと。「島民の中には約束を守らぬ者が多いですから」というのが、最後に其の島民の附加えた言葉である。
島民の生活に於て※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]が如何に大切なものとされているかを熟知している私は、三羽の生きた牝※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]を前にして、少からず感動した。しかし、それにしても、死んだ爺さんは一体院長に斡旋《あっせん》した私の親切(もしもそれが親切といえるならばだが)に対して報いたのだろうか。それとも、嘗て私の時計を失敬したことに対する謝罪のつもりだろうか。いやいや、あんな昔のことを彼が今迄憶えている筈が無い。憶えていたにしても、其の償いのつもりならば、当の時計を返してよこせばいいのに、あのウォルサムは一体どうしたのであろうか。いや、あの時計自体よりも、あの時計の事件によって私の心象に残された彼の奸悪さと、今の此の※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]の贈り物とをどう調和させて考えればいいのだろう。人間は死ぬ時には善良になるものだ、とか、人間の性情は一定不変のものではなく同じものが時に良く時に悪くなるのだ、とかいう説明は、私を殆ど満足させない。その不満は、実際にあの爺さんの声、風貌、動作の一つ一つを知りつくして、さて最後に、それ等からは、凡そ期待されない此の三羽の牝※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]にぶつかった私一人だけの感ずるものなのかも知れない。そうして恐らくは、「人間は」というのではなしに、「南海の人間は」という説明を私は求めているのでもあろう。それは兎も角として、南海の人間はまだまだ私などにはどれ程も分っていないのだという感を一入《ひとしお》深くしたことであった。
底本:「中島敦全集 2」ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年3月24日第1刷発行
2003(平成15)年3月20日第6刷発行
※ファイル冒頭の作品名、著者名等は、XHTMLファイルにおける外字画像化の対象外としています。そこで同ファイルでの視認性を考慮して、表題に用いられている「※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]には異体字の「鶏」をそえました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振り
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