られて竟《つい》に立って歩けなくなった方が負と判定されるようである。それ迄には勿論双方とも抓り傷引掻き傷の三十ヶ所や五十ヶ所は負うている。結局、相手を素裸にして打倒した女が凱歌をあげ、情事に於ける正しき者と認められ、今迄厳正中立を保って見物していた衆人から祝福を受ける。勝者は常に正しく、従って神々の祐助《ゆうじょ》祝福を受けるものだからである。
 さて、ギラ・コシサンの妻エビルは、此の恋喧嘩《ヘルリス》を、人妻といわず、娘といわず、女でない女を除いたあらゆる村の女に向って仕掛けた。そうして殆ど凡《すべ》ての場合、相手の女を抓り引掻き突飛ばした揚句《あげく》、丸裸に引剥いて了《しま》った。エビルは腕も脚も飽く迄太く、膂力《りょりょく》に秀でた女だったのである。エビルの多情は衆人周知の事実だったにも拘わらず、彼女の数々の情事は、結果から見て、正しいと言われなければならない。ヘルリスに於ける勝利という動かし難い輝かしい証拠があるのだから。斯《こ》うした実証を伴う偏見ほど牢乎《ろうこ》たるものはない。実際エビルは、彼女の現実の情事は常に正義であり、夫の想像された情事は常に不正であると固く信じていた。哀れなのはギラ・コシサンである。妻の口舌と腕力とによる日毎の責苦の外に、斯かる動かし難い証拠を前にして、彼は、本当に妻が正しく己が不正なのかも知れぬという良心的な懐疑に迄苦しまねばならなかった。偶然が彼に恵まなかったなら、彼は日々の重みのために押潰されて了ったかも知れぬ。
 その頃パラオの島々にはモゴルと呼ばれる制度があった。男子組合《ヘルデベヘル》の共同家屋《ア・バイ》に未婚の女が泊り込んで、炊事をする傍ら娼婦の様な仕事をするのである。其の女は必ず他部落から来る。自発的に来る場合もあり、敗戦の結果強制的に出させられることもある。
 ギラ・コシサンの住んでいるガクラオの共同家屋《ア・バイ》に偶々《たまたま》グレパン部落の女がモゴルに来た。名をリメイといって非常な美人である。
 ギラ・コシサンが初めて此の女をア・バイの裏の炊事場で見た時、彼は茫然として暫く佇立《ちょりつ》した。その女の黒檀彫《こくたんぼり》の古い神像のような美に打たれたばかりではない。何か運命的な予感が――此の女によってのみ自分は現在の女房の圧制から免れられるかも知れぬという・哀れにも甚だ打算的な予感がしたのである
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