命した公叔戍の旧領地で、従って、主人を逐《お》うた現在の政府に対してことごとに反抗的な態度を執っている。元々|人気《じんき》の荒《あら》い土地で、かつて子路自身も孔子に従ってこの地で暴民に襲われたことがある。
 任地に立つ前、子路は孔子の所に行き、「邑に壮士多くして治め難し」といわれる蒲の事情を述べて教を乞《こ》うた。孔子が言う。「恭《きょう》にして敬あらばもって勇を懾《おそ》れしむべく、寛《かん》にして正しからばもって強を懐くべく、温にして断ならばもって姦を抑《おさ》うべし」と。子路再拝して謝し、欣然《きんぜん》として任に赴《おもむ》いた。
 蒲に着くと子路はまず土地の有力者、反抗分子等を呼び、これと腹蔵なく語り合った。手なずけようとの手段ではない。孔子の常に言う「教えずして刑《けい》することの不可」を知るが故に、まず彼等に己の意の在る所を明かしたのである。気取の無い率直さが荒っぽい土地の人気に投じたらしい。壮士連はことごとく子路の明快闊達に推服した。それにこの頃になると、既に子路の名は孔門|随一《ずいいち》の快男児として天下に響《ひび》いていた。「片言もって獄《ごく》を折《さだ》む
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