の》が身に引受けること。僭越《せんえつ》ながらこれが自分の務《つとめ》だと思う。学も才も自分は後学の諸才人に劣《おと》るかも知れぬ。しかし、いったん事ある場合真先に夫子のために生命を抛《なげう》って顧みぬのは誰よりも自分だと、彼は自ら深く信じていた。

     八

「ここに美玉あり。匱《ひつ》に※[#「韋+榲のつくり」、第3水準1−93−83]《おさ》めて蔵《かく》さんか。善賈《ぜんか》を求めて沽《う》らんか。」と子貢が言った時、孔子は即座《そくざ》に、「これを沽らん哉《かな》。これを沽らん哉。我は賈《あたい》を待つものなり。」と答えた。
 そういうつもりで孔子は天下周遊の旅に出たのである。随った弟子達も大部分はもちろん沽りたいのだが、子路は必ずしも沽ろうとは思わない。権力の地位に在って所信を断行する快さは既に先頃の経験で知ってはいるが、それには孔子を上に戴《いただ》くといった風な特別な条件が絶対に必要である。それが出来ないなら、むしろ、「褐《かつ》(粗衣《そい》)を被《き》て玉を懐《いだ》く」という生き方が好ましい。生涯《しょうがい》孔子の番犬に終ろうとも、いささかの悔《くい》も
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