の知らないものは、我々以上に賢いのだということ」を知っていた。そうして、自らの生活の設計に際しては、其の唯一の道――我々より賢いものの導いて呉れる其の唯一の途を、最も忠実、勤勉に歩むことにのみ全力を払い、他の一切は之を棄てて顧みなかった。俗衆の嘲罵《ちょうば》や父母の悲嘆をよそに彼は此の生き方を、少年時代から死の瞬間に至るまで続けた。「うすっぺら」で、「不誠実」で、「好色漢」で、「自惚《うぬぼれ》や」で、「がりがりの利己主義者」で、「鼻持のならぬ気取りや」の彼が、この書く[#「書く」に傍点]という一筋の道に於てのみは、終始一貫、修道僧の如き敬虔《けいけん》な精進を怠らなかった。彼は殆ど一日としてもの[#「もの」に傍点]を書かずには過ごせなかった。それは最早肉体的な習慣の一部だった。絶間なく二十年に亘って彼の肉体をさいなんだ肺結核、神経痛、胃痛も、此の習慣を改めさせることは出来なかった。肺炎と坐骨神経痛と風眼とが同時に起った時、彼は、眼に繃帯《ほうたい》を当て、絶対安静の仰臥《ぎょうが》のまま、囁《ささや》き声《ごえ》で「ダイナマイト党員」を口述して妻に筆記させた。
 彼は、死と余りに近い所に常に住んでいた。咳込んだ口を抑える手巾《ハンカチ》の中に紅いものを見出さないことは稀《まれ》だったのである。死に対する覚悟に就いてだけは、この未熟で気障《きざ》な青年も、大悟徹底した高僧と似通ったものを有《も》っていた。平生、彼は自分の墓碑銘とすべき詩句をポケットにしのばせていた。「星影繁き空の下、静かに我を眠らしめ。楽しく生きし我なれば、楽しく今は死に行かむ」云々《うんぬん》。彼は、自分の死よりも、友人の死の方を、寧《むし》ろ恐れた。自らの死に就いては、彼は之に馴れた。というよりも、一歩進んで、死と戯れ、死と賭《かけ》をするような気持を有《も》っていた。死の冷たい手が彼をとらえる前に、どれだけの美しい「空想と言葉との織物」を織成すことが出来るか? 之は大変|豪奢《ごうしゃ》な賭のように思われた。出発時間の迫った旅人の様な気持に追立てられて、彼はひたすらに書いた。そうして、実際、幾つかの美しい「空想と言葉との織物」を残した。「オララ」の如き、「スロオン・ジャネット」の如き、「マァスタア・オヴ・バラントレエ」の如き。「成程、其等の作品は美しく、魅力に富んではいるが、要するに、深味の
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