それのみが私を、(或いは芸術家を)行為にまで動かし得るのだ。所で、今の私にとって、其の「直接《じか》に感じられるもの」とは何か、といえば、それは、「私が最早一旅行者の好奇の眼を以てでなく、一居住者の愛著《あいちゃく》を以て、此の島と、島の人々とを愛し始めた」ということである。
兎に角、目前に危険の感じられる内乱と、又、それを誘発すべき白人の圧迫とを、何とかして防がねばならぬ。しかも、斯《こ》うした事柄に於ける私の無力さ! 私は、まだ選挙権さえ有っていない。アピアの要人達と会って話して見るのだが、彼等は私を真面目に扱っていないように思われる。辛抱して私の話を聞いて呉れるのも、実は、文学者としての私の名声に対してのことに過ぎない。私が立去ったあとでは、屹度《きっと》舌でも出しているに相違ない。
自分の無力感が、いたく私を噛む。この愚劣と不正と貪慾《どんよく》とが日一日と烈しくなって行くのを見ながら、それに対して何事をも為し得ないとは!
九月××日
マノノで又新しい事件が起った。全く、こんなに騒動ばかり起す島はない。小さな島のくせに、全サモアの紛争の七割は、此処から発生する。マノノのマターファ側の青年共が、ラウペパ側の者の家を襲って焼払ったのだ。島は大混乱に陥った。丁度、裁判所長《チーフ・ジャスティス》が官費でフィジーへ大名旅行中だったので、長官のピルザッハが自らマノノヘ赴き、独りで上陸して(此の男も感心に勇気だけはあると見える)暴徒に説いた。そして、犯人等に自らアピア迄出頭するように命じた。犯人達は男らしく自らアピアヘ出て来た。彼等は六ヶ月|禁錮《きんこ》の宣告を受け、直ぐ牢《ろう》に繋《つな》がれることになった。彼等に附添って一緒に来た、他の剽悍《ひょうかん》なマノノ人等は、犯人達が街を通って牢へ連れて行かれる途中で、大声に呼びかけた。「いずれ助け出してやるぞ!」実弾の銃を担った三十人の兵に囲まれて進んで行く囚人等は、「それには及ばぬ。大丈夫だ。」と答えた。それで話は終った訳だが、一般には、近い中に救助破獄が行われるだろうと固く信じられている。監獄では厳重な警戒が張られた。日夜の心配に堪えられなくなった守衛長(若い瑞典人)は、遂に、乱暴極まる措置を思いついた。ダイナマイトを牢の下に仕掛け、襲撃を受けた場合、暴徒も囚人も共に爆破して了ったらどうだろうと。彼は政務
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