レッカー》」は順調に進捗《しんちょく》しつつある。ロイドの他にイソベルという一層|叮嚀《ていねい》な筆記者が殖えたのは、大いに助かる。
家畜の宰領をしているラファエレに、現在の頭数を聞いて見たら、乳牛三頭、犢《こうし》が牝《めす》牡《おす》各一頭ずつ、馬八頭、(ここ迄は聞かなくても知っている。)豚が三十匹余り。家鴨《あひる》と※[#「奚+隹」、第3水準1−93−66]とは随処に出没するので殆ど無数という外はなく、尚、別に夥《おびただ》しい野良猫共が跋扈《ばっこ》している由。野良猫は家畜なりや?
五月××日
街に、島巡りのサーカスが来たというので、一家総出で見に行く。真昼の大天幕の下、土人の男女の喧騒《けんそう》の中で、生温い風に吹かれながら、曲芸を見る。これが我々にとっての唯一の劇場だ。我々のプロスペロオは球乗《たまのり》の黒熊。ミランダは馬の背に乱舞しつつ火の輪を潜る。
夕方、帰る。何か心|怡《たの》しまず。
六月×日
昨夜八時半頃ロイドと自室にいると、ミタイエレ(十一・二歳の少年召使)がやって来て、一緒に寐《ね》ているパータリセ(最近、戸外労働から室内給仕に昇格した十五・六歳の少年、ワリス島の者で英語は皆目判らず、サモア語も五つしか知らない。)が、急に変な事を言出して気味が悪い、と言った。何でも、「今から森の中にいる家族《うち》の者に逢いに行く。」といって聞かないのだそうだ。「森の中に、あの子の家があるのか?」と聞くと、「あるもんですか。」とミタイエレが言う。直ぐにロイドと、彼等の寝室へ行った。パータリセは睡っている者のように見えたが、何かうわ[#「うわ」に傍点]言を言っている。時々、脅された鼠《ねずみ》の様な声を立てる。身体にさわると冷たい。脈は速くない。呼吸の度に腹が大きく上下する。突然、彼は起上り、頭を低く下げ、前へつんのめるような恰好《かっこう》で、扉に向って走った。(といっても、其の動作は余り速くなく、ぜんまい[#「ぜんまい」に傍点]の弛《ゆる》んだ機械玩具のような奇妙なのろさ[#「のろさ」に傍点]であった。)ロイドと私とが彼をつかまえてベッドに寐かしつけた。暫くして又逃出そうとした。今度は猛烈な勢なので、やむを得ず、みんなで彼をベッドに(シーツや縄で)括《くく》り付けた。パータリセは、そうやって抑え付けられた儘《まま》時々何か呟き、時に、
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