モアの方が好ましい。海と島々と土人達と、島の生活と気候とが、私を本当に幸福にして呉れるだろう。私は此の流謫《るたく》を決して不幸とは考えない……。」
その年の十一月、彼は漸《ようや》く健康を取戻してサモアに帰った。彼の買入地には、土人の大工の作った仮小舎が出来ていた。本建築は白人大工でなければ出来ないのである。それが出来上るまで、スティヴンスンと彼の妻ファニイとは仮小舎に寝起し、自ら土人達を監督して開墾に当った[#「当った」は底本では「当つた」]。其処はアピア市の南方三|哩《マイル》、休火山ヴァエアの山腹で、五つの渓流と三つの瀑布《ばくふ》と、その他幾つかの峡谷断崖を含む・六百|呎《フィート》から千三百呎に亘る高さの台地である。土人は此の地をヴァイリマと呼んだ。五つの川[#「五つの川」に傍点]の意である。鬱蒼《うっそう》たる熱帯林や渺茫《びょうぼう》たる南太平洋の眺望をもつ斯うした土地に、自分の力で一つ一つ生活の礎石を築いて行くのは、スティヴンスンにとって、子供の時の箱庭遊に似た純粋な歓びであった。自分の生活が自分の手によって最も直接に支えられていることの意識――その敷地に自分が一杙《ひとくい》打込んだ家に住み、自分が鋸《のこぎり》をもって其の製造の手伝をした椅子に掛け、自分が鍬《くわ》を入れた畠の野菜や果実を何時も喰べていること――之は、幼時始めて自力で作上げた手工品を卓子《テーブル》の上に置いて眺めた時の・新鮮な自尊心を蘇《よみがえ》らせて呉れる。此の小舎を組立てている丸木や板も、又、日々の食物も、みんな素性の知れたものであること――つまり、其等の木は悉《ことごと》く自分の山から伐出《きりだ》され自分の眼の前で鉋《かんな》を掛けられたものであり、其等の食物の出所も、みんなはっきり[#「はっきり」に傍点]判っている(このオレンジはどの木から取った、このバナナは何処の畠のと)こと。之も、幼い頃母の作った料理でなければ安心して喰べられなかったスティヴンスンに、何か楽しい心易さを与えるのであった。
彼は今ロビンソン・クルーソー、或いはウォルト・ホイットマンの生活を実験しつつある。「太陽と大地と生物とを愛し、富を軽蔑《けいべつ》し、乞う者には与え、白人文明を以て一の大なる偏見と見做《みな》し、教育なき・力《ちから》溢《あふ》るる人々と共に闊歩《かっぽ》し、明るい風と
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