のできぬ俺と比べて、なんという相異だろう! 目に一丁字《いっていじ》のないこの猴《さる》の前にいるときほど、文字による教養の哀れさを感じさせられることはない。

 悟空《ごくう》の身体の部分部分は――目も耳も口も脚も手も――みんないつも嬉《うれ》しくて堪《たま》らないらしい。生き生きとし、ピチピチしている。ことに戦う段になると、それらの各部分は歓喜のあまり、花にむらがる夏の蜂《はち》のようにいっせいにワァーッと歓声を挙げるのだ。悟空の戦いぶりが、その真剣な気魄《きはく》にもかかわらず、どこか遊戯《ゆうげ》の趣を備えているのは、このためであろうか。人はよく「死ぬ覚悟で」などというが、悟空という男はけっして死ぬ覚悟[#「死ぬ覚悟」に傍点]なんかしない。どんな危険に陥った場合でも、彼はただ、今自分のしている仕事(妖怪《ようかい》を退治するなり、三蔵法師《さんぞうほうし》を救い出すなり)の成否を憂えるだけで、自分の生命のことなどは、てんで考えの中に浮かんでこないのである。太上老君《たいじょうろうくん》の八卦炉《はっけろ》中に焼殺されかかったときも、銀角大王の泰山《たいざん》圧頂の法に遭《お》う
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