などということを知らなかった。他人の考えの筋道を辿《たど》るにはあまりに自己の特徴が著しく伸長しすぎていたからである。それゆえ、流沙河《りゅうさが》の水底では、何百かの世界観や形而上《けいじじょう》学が、けっして他と融和することなく、あるものは穏やかな絶望の歓喜をもって、あるものは底抜けの明るさをもって、あるものは願望《ねがい》はあれど希望《のぞみ》なき溜息《ためいき》をもって、揺動《ゆれうご》く無数の藻草《もぐさ》のようにゆらゆらとたゆとうておった。

       三

 最初に悟浄《ごじょう》が訪ねたのは、黒卵道人《こくらんどうじん》とて、そのころ最も高名な幻術《げんじゅつ》の大家《たいか》であった。あまり深くない水底に累々《るいるい》と岩石を積重ねて洞窟《どうくつ》を作り、入口には斜月三星洞《しゃげつさんせいどう》の額が掛かっておった。庵主《あんじゅ》は、魚面人身《ぎょめんじんしん》、よく幻術を行のうて、存亡自在、冬、雷を起こし、夏、氷を造り、飛者《とり》を走らしめ、走者《けもの》を飛ばしめるという噂《うわさ》である。悟浄はこの道人に三《み》月仕えた。幻術などどうでもいいのだが
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