ら次へと飛出してくる生の不思議の前に、その姿を見失って了った、という方が、より本当であろう。この頃から私達は次第に、この奇怪にして魅力に富める人生の多くの事実について鋭い好奇の眼を光らせはじめた。二人が――勿論、大人に連れられてのことではあるが、――虎狩に出掛けたのは丁度其の頃のことだ。併しついでだから、順序は逆になるが、虎狩は後廻《あとまわ》しにして、その後の彼について、もう少し話して置こうと思う。それから後の彼について思い出すことといえば、もう、ほんの二つ三つしか無いのだから。
四
元来、彼は奇妙な事に興味を持つ男で、学校でやらせられる事には殆ど少しも熱心を示さなかった。剣道の時間なども大抵は病気と称して見学し、真面目に面をつけて竹刀《しない》を振廻している私達の方を、例の細い眼で嘲笑を浮べながら見ているのだったが、ある日の四時間目、剣道の時間が終って、まだ面も脱《と》らない私のそばへ来て、自分が昨日三越のギャラリイで熱帯の魚を見て来た話をした。大変昂奮した口調でその美しさを説き、是非私にも見に行くように、自分も一緒に、もう一度行くから、というのだ。その日の放課後私達は本町通りの三越に寄った。それは恐らく、日本で最も早い熱帯魚の紹介だったろう。三階の陳列場の囲いの中にはいると、周囲の窓際に、ずっと水槽を並べてあるので、場内は水族館の中のような仄《ほの》青い薄明りであった。趙は私を先ず、窓際の中央にあった一つの水槽の前に連れて行った。外《そと》の空を映して青く透った水の中には、五六本の水草の間を、薄い絹張りの小|団扇《うちわ》のような美しい、非常にうすい平べったい魚が二匹静かに泳いでいた。ちょっと鰈《かれい》を――縦におこして泳がせたような恰好《かっこう》だ。それに、その胴体と殆ど同じ位の大きさの三角帆のような鰭《ひれ》が如何《いか》にも見事だ。動く度に色を変える玉虫めいた灰白色の胴には、派手なネクタイの柄のように、赤紫色の太い縞《しま》が幾本か鮮かに引かれている。
「どうだ!」と、熱心に見詰めている私の傍で、趙が得意気に言った。
硝子《ガラス》の厚みのために緑色に見える気泡の上昇する行列。底に敷かれた細かい白い砂。そこから生えている巾の狭い水藻。その間に装飾風の尾鰭を大切そうに静かに動かして泳いでいる菱形の魚。こういうものをじっ[#「じっ」に傍点]と眺めている中に、私は何時《いつ》の間にか覗《のぞ》き眼鏡で南洋の海底でも覗いているような気になってしまっていた。が、併《しか》し又、其《そ》の時、私には趙の感激の仕方が、あまり仰々しすぎると考えられた。彼の「異国的な美」に対する愛好は前からよく知ってはいたけれども、此《こ》の場合の彼の感動には多くの誇張が含まれていることを私は見出し、そして、その誇張を挫《くじ》いてやろうと考えた。で、一通り見終ってから三越を出、二人して本町通を下って行った時、私は彼にわざとこう云ってやった。
――そりゃ綺麗でないことはないけれど、だけど、日本の金魚だってあの位は美しいんだぜ。――
反応は直ぐに現れた。口を噤《つぐ》んだまま正面から私を見返した彼の顔付は――その面皰《にきび》のあと[#「あと」に傍点]だらけな、例によって眼のほそい、鼻翼《びよく》の張った、脣の厚い彼の顔は、私の、繊細な美を解しないことに対する憫笑《びんしょう》や、又、それよりも、今の私の意地の悪いシニカルな態度に対する抗議や、そんなものの交りあった複雑な表情で忽《たちま》ち充たされて了ったのである。その後一週間程、彼は私に口をきかなかったように憶えている。…………
五
彼と私との交際の間には、もっと重要なことが沢山あったに相違ないのだが、それでも私はこうした小さな出来事ばかり馬鹿にはっきりと憶えていて、他《ほか》の事は大抵忘れて了《しま》っている。人間の記憶とは大体そういう風に出来ているものらしい。で、この他に私のよく憶えていることといえば、――そう、あの三年生の時の、冬の演習の夜のことだ。
それは、たしか十一月も末の、風の冷たい日だった。その日、三年以上の生徒は漢江南岸の永登浦《えいとうほ》の近処で発火演習を行《おこな》った。斥候《せっこう》に出た時、小高い丘の疎林《そりん》の間から下を眺めると、其処《そこ》には白い砂原が遠く連なり、その中程あたりを鈍い刃物色をした冬の川がさむざむと流れている。そしてその遥か上の空には、何時《いつ》も見慣れた北漢山のゴツゴツした山骨《さんこつ》が青紫色に空を劃っていたりする。そうした冬枯の景色の間を、背嚢《はいのう》の革や銃の油の匂、又は煙硝《えんしょう》の匂などを嗅ぎながら、私達は一日中駈けずり廻った。
その夜は漢江の岸の路梁津《ろりょうしん》の川原に天幕を張ることになった。私達は疲れた足を引きずり、銃の重みを肩のあたりに痛く感じながら、歩きにくい川原の砂の上をザックザックと歩いて行った。露営地へ着いたのは四時頃だったろう。いよいよ天幕を張ろうと用意にかかった時、今まで晴れていた空が急に曇って来たかと思うと、バラバラと大粒な雹《ひょう》が烈しく落ちて来た。ひどく大粒な雹だった。私達は痛さに堪えかねて、まだ張りもしないで砂の上に拡げてあったテントの下へ、我先にともぐり込んだ。その耳許へ、テントの厚い布にあたる雹の音がはげしく鳴った。雹は十分ばかりで止んだ。テントの下から首を出した私達は――その同じテントに七八人、首を突込んでいたのだ。――互いに顔を見合せて一度に笑った。その時、私は趙大煥もやはり同じテントから今、首を抜き出した仲間であることを見出した。が、彼は笑っていなかった。不安げな蒼《あお》ざめた顔色をして下を向いていた。側に五年生のNというのが立っていて、何かけわしい顔をしながら彼を咎《とが》めているのだ。一同があわててテントの下へもぐり込んだ時、趙が肱《ひじ》でもって、その上級生を突飛ばして、眼鏡を叩き落したというのらしかった。元来私達の中学校では上級生が甚だしく威張る習慣があった。途《みち》で会った時の敬礼はもとより、その他何事につけても上級生には絶対服従ということになっていた。で、私は、その時も趙が大人《おとな》しくあやまるだろうと思っていた。が、意外にも――あるいは私達がそばで見ていたせいもあるかも知れないが――仲々素直にあやまらないのだ。彼は依固地《いこじ》に黙ったまま突立っているばかりだった。Nは暫《しばら》く趙を憎さげに見下していたが、私達の方に一瞥《いちべつ》をくれると、そのままぐるりと後を向いて立去って了った。
実をいうと、此の時ばかりでなく、趙は前々から上級生に睨《にら》まれていたのだ。第一、趙は彼等に道で逢っても、あまり敬礼をしないという。これは、趙が近眼であるにも拘《かかわ》らず眼鏡を掛けていないという事実に因《よ》ることが多いもののようだった。が、そうでなくても、元来年の割にませていて、彼等上級生達の思い上った行為に対しても時として憫笑を洩らしかねない彼のことだし、それにその頃から荷風の小説を耽読《たんどく》する位で、硬派の彼等から見て、些《いささ》か軟派に過ぎてもいたので、これは上級生達から睨まれるのも当然であったろう。趙自身の話によると、何でも二度ばかり「生意気だ。改めないと殴るぞ。」と云って、おどかされたそうだ。殊《こと》に此《こ》の演習の二三日前などは学校裏の崇政殿という、昔の李王朝の宮殿址の前に引張られて、あわや殴られようとしたのを、折よく其処を生徒監が通りかかったために危く免れたのだという。趙は私にその話をしながら口のまわりには例の嘲笑の表情を浮かべていたが、その時、又、急にまじめになってこんな事を云った。自分は決して彼等を恐れてはいないし、又、殴られることをこわいとも思っていないのだが、それにも拘らず、彼等の前に出ると顫《ふる》える。何を馬鹿なとは思っても、自然に身体が小刻みに顫え出してくるのだが、一体これはどうした事だろう、と其《そ》の時彼は真面目な顔をして私に訊ねるのだった。彼は何時も人を小馬鹿にしたような笑いを浮かべ、人から見すかされまいと常に身構えしているくせに、時として、ひょいとこんな正直な所を白状して見せるのだ。もっとも、そういう正直な所をさらけ出して見せたあとでは、必ず、直ぐに今の行為を後悔したような面持《おももち》で、又もとの冷笑的な表情にかえるのではあったが。
上級生との間に今云ったような経緯《いきさつ》が前からあったので、それで彼も、その時、素直にあやまれなかったのであろう。其の夕方、天幕が張られてからも、彼はなお不安な落著《おちつ》かない面持をしていた。
幾十かの天幕が河原に張られ、内部に藁《わら》などを敷いて用意が出来ると、それぞれ、中で火をおこしはじめた。初めの中は薪《まき》がいぶって、とても中にはいたたまれなかった。やがて、その煙もしずまると、朝から背嚢《はいのう》の中でコチコチに固まった握飯の食事が始まる。それが終ると、一度外へ出て人員点呼。それがすんでから各自の天幕に帰って、砂の上に敷いた藁の上で休むことになる。テントの外に立つ歩哨《ほしょう》は一時間交代で、私の番は暁方《あけがた》の四時から五時までだったから、それまでゆっくり睡眠がとれるわけだった。その同じ天幕の中には私達三年生が五人と(その中には趙も交っていた。)それに監督の意味で二人の四年生が加わっていた。誰も初めの中は仲々寝そうにもなかった。真中に砂を掘って拵《こしら》えた急製の炉《ろ》を囲み、火影に赤々と顔を火照《ほて》らせ、それでも外からと、下からと沁みこんでくる寒さに外套《がいとう》の襟《えり》を立てて頸を縮めながら、私達は他愛もない雑談に耽《ふけ》った。その日、私達の教練《きょうれん》の教官、万年少尉殿が危く落馬しかけた話や、行軍の途中民家の裏庭に踏入って、其の家の農夫達と喧嘩したことや、斥候《せっこう》に出た四年生がずらかって、秘かに懐中にして来たポケット・ウイスキイの壜を傾け、帰ってから、いい加減な報告をした、などという詰まらない自慢話や、そんな話をしている中に、結局何時の間にか、少年らしい、今から考えれば実にあどけない猥談《わいだん》に移って行った。やはり一年の年長である四年生が主にそういう話題の提供者だった。私達は目を輝かせて、経験談かそれとも彼等の想像か分らない上級生の話に聞き入り、ほんの詰まらない事にもドッと娯しげな歓声をあげた。ただ、その中で趙大煥一人は大して面白くもなさそうな顔付をして黙っていた。趙とても、こういう種類の話に興味が持てないわけではない。ただ、彼は、上級生の一寸《ちょっと》した冗談をさも面白そうに笑ったりする私達の態度の中に「卑屈な追従《ついしょう》」を見出して、それを苦々しく思っているに違いないのだ。
話にも飽き、昼間の疲れも出てくると、めいめい寒さを防ぐために互いに身体をくっつけあいながら藁の上に横になった。私も横になったまま、毛のシャツを三枚と、その上にジャケツと上衣と外套とを重ねた上からもなおひしひし[#「ひしひし」に傍点]と迫ってくる寒さに暫く顫えていたが、それでも何時の間にかうとうとと睡って了ったものと見える。ひょいと何か高い声を聞いたように思って、眼を覚ましたのは、それから二三時間もたった後だろうか。その途端に私は何かしら悪いことが起ったような感じがして、じっと聞耳を立てると、テントの外から、又、妙に疳高《かんだか》い声が響いて来た。その声がどうやら趙大煥らしいのだ。私ははっ[#「はっ」に傍点]と思って、宵に自分の隣に寐《ね》ていた彼の姿をもとめた。趙はそこにいなかった。恐らくは歩哨の時間が来たので外へ出ているのだろう。が、あの、妙におびやかされた声は? と、その時、今度はハッキリと顫えを帯びた彼の声が布一枚隔てた外から聞えてきた。
――そんなに悪いとは思わんです。
――なに? 悪いと思わん?――と今度は別の太い声がのしかかるよ
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