此のバナナの皮を下へ撒《ま》いておいて、虎を滑らしてやろうと考えたのだ。勿論私とても、屹度《きっと》虎がバナナの皮で滑って、そのためにたやすく撃たれるに違いないと確信したわけではなかったが、しかし、そんな事も全然あり得ないことではなかろう位の期待を持った。そして喰べただけのバナナの皮は、なるたけ遠く、虎が通るに違いないと思われた方へ投棄てた。さすがに笑われると思ったので、此の考えは趙にも黙ってはいたが。
さて、バナナは失《な》くなったが、虎は仲々出て来ぬ。期待の外れた失望と、緊張の弛緩《しかん》とから、私はやや睡気《ねむけ》を催しはじめた。寒い風に顫《ふる》えながら、それでも私はコクリコクリやりかけた。そうすると、趙一人おいて向うにいた趙の父親が私の肩先を軽く叩いて、覚束《おぼつか》ない日本語で、笑いながら、「虎よりも風邪の方がこわいよ」と注意してくれた。私はすぐに微笑を以て、その注意に応《こた》えた。が、また間もなく、ウトウトやって了ったものらしい。そうして、それから、どの位時が経ったものか。私は夢の中で、さっき趙に聞いた話の、朝鮮人が虎に襲われている所を見ていたようだった。………
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