から、月のようなうす黄色い光をかすかに洩らしていた。あとで解ったのだけれども、朝鮮から満洲にかけては一年に大抵一度位はこのような日がある。つまり蒙古《もうこ》のゴビ砂漠に風が立って、その砂塵が遠く運ばれてくるのだ。その日、私は初めて見るその物すさまじい天候に呆気《あっけ》に取られて、運動場の界《さかい》の、丈《たけ》の高いポプラの梢《こずえ》が、その白い埃の霧の中に消えているあたりを眺めながら、直ぐにじゃりじゃり[#「じゃりじゃり」に傍点]と砂の溜ってくる口から、絶えずペッペッと唾を吐き棄てていた。すると突然横合から、奇妙な、ひきつった、ひやかすような笑いと共に、「ヤアイ、恥ずかしいもんだから、むやみと唾ばかり吐いてやがる。」という声が聞えた。見ると、割に背の高い、痩せた、眼の細い、小鼻の張った一人の少年が、悪意というよりは嘲笑に充ちた笑いを見せながら立っていた。成程《なるほど》、私が唾を吐くのは確かに空中の埃のせいではあったが、そういわれて見ると、また先程の「天|勾践《こうせん》を空しゅうする勿《なか》れ」の恥ずかしさや、一人ぼっちの間《ま》の悪さ、などを紛《まぎ》らすために必要以上
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