辱しめを受けて打捨てられてゐた。顏が無いので、服装と持物とによつて見分ける外はないのだが、革帶の目印と鉞《まさかり》の飾とによつて紛《まぎ》れもない弟の屍體をたづね出した時、シャクは暫く茫《ぼう》つとしたまま其の慘めな姿を眺めてゐた。其の樣子が、どうも、弟の死を悼んでゐるのとは何處か違ふやうに見えた、と、後《あと》でさう言つてゐた者がある。
その後間もなくシャクは妙な譫言《うはごと》をいふやうになつた。何が此の男にのり移つて奇怪な言葉を吐かせるのか、初め近處の人々には判らなかつた。言葉つきから判斷すれば、それは生きながら皮を剥がれた野獸の靈ででもあるやうに思はれる。一同が考へた末、それは、蠻人に斬取られた彼の弟デックの右手がしやべつてゐるのに違ひないといふ結論に達した。四五日すると、シャクは又別の靈の言葉を語り出した。今度は、それが何の靈であるか、直ぐに判つた。武運拙く戰場に斃れた顛末から、死後、虚空の大靈に頸筋を掴まれ無限の闇黒の彼方へ投げやられる次第を哀しげに語るのは、明らかに弟デック其の人と、誰もが合點した。シャクが弟の屍體の傍に茫然と立つてゐた時、祕かにデックの魂が兄の中に忍び入つたのだと人々は考へた。
さて、それ迄は、彼の最も親しい肉親、及び其の右手のこととて、彼にのり移るのも不思議はなかつたが、其の後一時平靜に復《かへ》つたシャクが再び譫言を吐き始めた時、人々は驚いた。今度は凡そシャクと關係のない動物や人間共の言葉だつたからである。
今迄にも憑《つ》きもののした男や女はあつたが、斯んなに種々雜多なものが一人の人間にのり移つた例《ためし》はない。或時は、此の部落の下の湖を泳ぎ廻る鯉がシャクの口を假《か》りて、鱗族《いろくづ》達の生活の哀しさと樂しさとを語つた。或時は、トオラス山の隼《はやぶさ》が、湖と草原と山脈と、又その向ふの鏡の如き湖との雄大な眺望について語つた。草原の牝狼が、白けた冬の月の下で飢に惱みながら一晩中|凍《い》てた土の上を歩き廻る辛さを語ることもある。
人々は珍しがつてシャクの譫言を聞きに來た。をかしいのは、シャクの方でも(或ひは、シャクに宿る靈共の方でも)多くの聞き手を期待するやうになつたことである。シャクの聽衆は次第にふえて行つたが、或時彼等の一人が斯んなことを言つた。シャクの言葉は、憑きものがしやべつてゐるのではないぞ、あれは
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