で出かけて行った。母は、とある街角の三角形の奇怪な硝子張りの家の中で、ひとり、机のようにぼんやりと坐っていた。』「青い大尉」(横光利一)
これは作者の現実を見る眼の相違からくるものであって、文学史的に考えて見て、表現派の洗礼を受けた新感覚派に之が見られ、表現派以前である鏡花氏に之が見られないのは当然のことである。
併しながら、その新感覚派の作家達がわずか数年にして、その奇矯なる表現法を捨てて了った(あるいは、それを使いこなす力がなくなって了った。)に対して、鏡花氏は実に三十年一日の如く、その独自の表現法を固守して益々その精彩を加えてきているのである。これは、新感覚派の諸作家の表現法が、単なる一時の雷同ひょっとした思いつき、に止っていたのに反して(横光氏などの場合は、そうとばかりも言いきれないが)鏡花氏のそれ[#「それ」に傍点]が、何よりも、氏自身の中から生れた、身についた表現法であることの証拠であろう、と私は思う。実にかくの如く突兀・奇峭にして、又絢爛を極めた言葉の豪奢な織物でなくては、とても、氏の内なる美しい幻想を――奇怪な心象風景を――写し出すことは出来ないのである。氏の文章は、だから、他人の眼には如何に奇怪にうつろうとも、氏自らにとっては、他の何物をもっても之にかえることのできない、唯一無二の表現術なのである。かかる作者自身の感情や感覚の裏打ちがあればこそ、氏の文章は、かくも人をひきつけるのである。単なる、きまぐれ[#「きまぐれ」に傍点]や思いつき[#「思いつき」に傍点]だけであったなら、三十年の長い年月の間に必ずや、化の皮を現わしたことに違いないと、私は考えるのである。
[#地から2字上げ](昭和八年七月発行、「学苑」第一号)
底本:「中島敦全集 3」ちくま文庫、筑摩書房
1993(平成5)年5月24日第1刷発行
2003(平成15)年3月20日第5刷発行
入力:門田裕志
校正:多羅尾伴内
2003年7月6日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全4ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング