B私もまた、それを強要して、心理的な機微を観察しようとするほど、意地が悪くはない。ただ、校長から、此処の島民児童の特徴や、永年の公学校教育の経験談でも聴くにとどめようと思った。ところが、私は、何を聞かねばならなかったか? 徹頭徹尾、私が先ほど会って来た・あの警部補の悪口ばかりを聞かされたのである。
 此処ばかりには限らない。離島《りとう》で、巡査派出所と公学校と両方のある島では、必ず両者の軋轢《あつれき》がある。そういう島では、巡査と公学校長(校長ばかりで下に訓導のいない学校が甚だ多いので)と、島中でこの二人だけが日本人であり、且つ官吏であるので、自然勢力争いが起るのである。どちらか一方だけだと、小独裁者の専制になってかえって結果は良いのだが。
 私は今までにも何回となくそれを見ては来たが、ここの校長のように初対面の者に向って、いきなりこう猛烈にやり出すのは、初めてであった。何の悪口ということはない。何から何までその警部補のする事はみんな悪いのである。魚釣(この湾内ではもろ鰺[#「もろ鰺」に傍点]が良く釣れるそうだが)の下手なのまでが讒謗《ざんぼう》の種子になろうとは、私も考えなかった。魚釣の話が一番|後《あと》に出たものだから、少し慌てて聞いていると、警部補は魚釣が下手故この島の行政事務を任せては置けないという風な論旨に取られかねないのである。聞いている中に、先ほどは何とも感じなかった・あの横幅の広い警部補に何だか好感が持てそうな気がして来た。

 島を案内しようというのを断って公学校を退却すると、私は独りで、島民に道を聞きながら、「レロの遺跡」という名で知られている古代城郭の址《あと》を見に行った。今まで曇っていた空から陽が洩れ始め、島は急に熱帯的な相貌を帯びて来た。
 海岸から折れて一丁も行かない中に、目指す石の塁壁《るいへき》にぶつかる。鬱蒼《うっそう》たる熱帯樹に蔽《おお》われ苔《こけ》に埋もれてはいるが、素晴らしく大きな玄武岩の構築物だ。
 入口をはいってからがなかなか広い。苔で滑りやすい石畳路が紆余曲折《うよきょくせつ》して続く。室の跡らしいもの、井戸の形をしたものなどが、密生した羊歯《しだ》類の間に見え隠れする。塁壁の崩れか、所々に※[#「「壘」の「土」に代えて「糸」」、第3水準1−90−24]々《るいるい》たる石塊の山が積まれている。到る所に椰子《
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