フ独木舟《カヌー》が三隻水を切って近寄った。見事に赤銅色をした逞《たくま》しい男が、真赤な褌《ふんどし》一つで漕いで来る。近付くと、彼らの耳に黒い耳輪の下っているのが見えた。
「では、行って来ます」と警官はヘルメットを手に取りながら挨拶し、巡警を従えて甲板から降りて行った。
この島には三時間しか泊らないことになっている。私は上陸しないことにした。ひとえに暑さを恐れたためである。
昼食を下で済ませてから、また甲板へ上って来た。外海の濃藍色とは全然違って、堡礁《リーフ》内の水は、乳に溶かした翡翠《ひすい》だ。船の影になった所は、厚い硝子《ガラス》の切断部のような色合に、特に澄み透って見える。エンジェル・フィッシュに似た黒い派手な竪縞《たてじま》のある魚と、さより[#「さより」に傍点]のような飴色《あめいろ》の細い魚とが盛んに泳いでいるのを見下している中に、眠くなって来た。先刻警官の睡った寝椅子に横になると、直ぐに寝てしまった。
タラップを上って来る足音と人声とに目を醒《さ》ますと、もう警官と巡警とが帰って来ていた。傍に、褌一つの島民少年を連れている。
「ああ、これですか。ナポレオンは。」
「ハア」と頷《うなず》くと、警官は少年を、甲板の隅の索具などの積んである辺へ向けて突き飛ばした。「その辺へしゃがんどれ。」
警官の背後《うしろ》から巡警が(二十歳《はたち》になったかならない位の、愚鈍そうな若者だ)何か短く少年に言った。警官の言葉を通訳したのであろう。少年は不貞腐《ふてくさ》れたような一瞥《いちべつ》を我々に投げてから、其処《そこ》にあった木箱に腰を下し、海の方を向いてしまった。
島民としては甚だ眼が小さいが、ナポレオン少年の顔は別に醜いという訳ではない。そうかといって(大抵の邪悪な顔には何処《どこ》か狡《ずる》い賢さがあるものだが)悪賢いという柄でもない。賢さなどというものは全然見られぬ・愚鈍極まる顔でありながら、普通の島民の顔に見られる・あのとぼけた[#「とぼけた」に傍点]おかしさがまるで[#「まるで」に傍点]無い。意味も目的も無い・まじりけの無い悪意だけがハッキリその愚かしい顔に現れている。先ほど警官から聞かされたこの少年のコロールでの残忍な行為も、なるほどこの顔ならやりそうだと思われた。ただ、予期に反したのは、その体躯の小さいことである。島民は概して
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