みるばかり鮮やかな海の青を近くに見、濤の音の古い嘆きを聞いてゐる中に、私は、ひよいと能の「隅田川」を思ひ浮かべた。母なる狂女に呼ばれて幼い死兒の亡靈が塚の後からチヨコ/\白い姿を現すが、母がとらへようとすると、又フツと隱れて了ふあの場面を。
あとで公學校の島民教員補に聞くと、此の子の兩親(經師屋だつたさうだ)は子供に死なれてから間もなく此の地を立去つたといふことである。
宿舍としてあてがはれた家の入口に、珍しく茘枝《れいし》の蔓がからみ實が熟してはぜて[#「はぜて」に傍点]ゐる。裏にはレモンの花が匂ふ。門外橘花猶的※[#「白+樂」、第3水準1−88−69]、牆頭茘子已※[#「斌」の「武」に代えて「瀾のつくり」、427−2]斑、といふのは蘇東坡(彼は南方へ流された)だが、丁度そつくり其の儘の情景である。但し、昔の支那人のいふ茘枝と我々の呼ぶ茘枝と、同じものかどうか、それは知らない。さういへば、南洋到る所にある・赤や黄の鮮やかなヒビスカスは、一般に佛桑華《ぶつさうげ》といはれてゐるが、王漁洋の「廣州竹枝」に、佛桑華下小※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]廊云々とある、それと同じ
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