A小ナポレオンのためのセント・ヘレナは、やがて灰色の影となり、煙の如き一線となり、一時間後には遂に完全に、青焔燃ゆる大圓盤の彼方に沒し去つた。
[#改ページ]
眞晝
目がさめた。ウーンと、睡り足りた後の快い伸びをすると、手足の下、背中の下で、砂が――眞白な花珊瑚の屑がサラ/\と輕く崩れる。汀から二間と隔たらない所、大きなタマナ樹の茂みの下、濃い茄子色の影の中で私は晝寢をしてゐたのである。頭上の枝葉はぎつしりと密生《こ》んでゐて、葉洩日も殆ど落ちて來ない。
起上つて沖を見た時、青鯖色の水を切つて走る朱の三角帆の鮮やかさが、私の目をハツキリと醒めさせた。その帆掛|獨木舟《カヌー》は、今丁度外海から堡礁の裂目にさしかかつた所だつた。陽射しの工合から見れば、時刻は午を少し※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つたところであらう。
煙草を一服つけ、又、珊瑚屑の上に腰を下す。靜かだ。頭上の葉のそよぎと、ピチヤリ/\と舐めるやうな渚の水音の外は、時たま堡礁の外の濤の音が微かに響くばかり。
期限付の約束に追立てられることもなく、又、季節の繼ぎ目といふものも無しに、たゞ長閑にダラ/\
前へ
次へ
全80ページ中33ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
中島 敦 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング