光や、それに見入る娘達や雛妓等の樣子迄もはつきり[#「はつきり」に傍点]、彼女等の髮油の匂までもありあり[#「ありあり」に傍点]と、浮かんで來た。私は、歌舞伎劇そのものも餘り好きではない。みやげもの屋などに何の興味も無い筈である。何故、こんな意味も内容も無い東京生活の薄つぺらな一斷面が、太平洋の濤に圍まれた小さな島の・椰子の葉で葺いた土民小舍の中で、家の周圍《まはり》にズシンと落ちる椰子の實の音を聞いてゐる時に、突然思出されたものか。私には皆目《かいもく》判らぬ。とにかく、私の中には色んな奇妙な奴等がゴチヤ/\と雜居してゐるらしい。淺間しい、唾棄すべき奴までが。
海岸のタマナ竝木の蔭のはづれ迄來た時、向ふから陽に灼けた砂の上を素裸の小さい男の子が駈けて來た。私の前迄來ると、立止つてキチンと足を揃へ、頭が膝の所まで來る程の丁寧なお辭儀をしてから、食事の用意が出來たことを告げた。私の泊つてゐる島民の家の兒で、今年|八歳《やつつ》になる。痩せた・目の大きい・腹ばかり出た・糜爛性腫瘍《フランペシヤ》だらけの兒である。何か御馳走が出來たか、と聞けば、兄が先刻カムドゥックル魚を突いて來たから、日本流の刺身に作つたといふ。
少年について一歩日向の砂の上に踏出した時、タマナ樹の梢から眞白な一羽のソホーソホ鳥(島民が斯う呼ぶのは鳴き聲からであるが、内地人は其の形から飛行機鳥と名付けてゐる)が、バタ/\と舞上つて、忽ち、高く眩しい碧空に消えて行つた。
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マリヤン
マリヤンといふのは、私の良く知つてゐる一人の島民女の名前である。
マリヤンとはマリヤのことだ。聖母マリヤのマリヤである。パラオ地方の島民は、凡て發音が鼻にかかるので、マリヤンと聞えるのだ。
マリヤンの年が幾つだか、私は知らない。別に遠慮した譯ではなかつたが、つい、聞いたことがないのである。とにかく三十に間があることだけは確かだ。
マリヤンの容貌が、島民の眼から見て美しいかどうか、之も私は知らない。醜いことだけはあるまいと思ふ。少しも日本がかつた所が無く、又西洋がかつた所も無い(南洋で一寸顏立が整つてゐると思はれるのは大抵どちらかの血が混つてゐるものだ)純然たるミクロネシヤ・カナカの典型的な顏だが、私はそれを大變立派だと思ふ。人種としての制限は仕方が無いが、其の制限の中で考へれば、實にのび/\
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