情から気が荒くなったかもしれない。またクレルヴァルは、どんな病気もこの男のけだかい精神を侵すことができないだろうと思えるほどだが、そのクレルヴァルだって、エリザベートが善行のほんとうのよさを語り、高揚する望みの目的が善いことをすることにあることを、納得させなかったとしたら、あれほど申し分なく人間的であり、あれほど寛大に思慮をめぐらすということは、なかったかもしれない。冒険的功業のために熱情に燃えているさなかで、あれほど親切に心やさしくふるまいはしなかったかもしれないのだ。
子どものころの回想にひたっていると、なんとも言えない喜びが感じられるが、それ以後のことになると、不しあわせが私の心を汚辱し、広く人類のためにやくだつという輝かしい幻想も、そのために陰気な狭い自己反省に変ってしまう。さらに、私の幼いころのことを書くとすれば、思わず知らず、私の後日の不幸な身の上ばなしをすることになってしまう出来事まで、書き記すことになってくる。なぜなら、後に私の運命を支配したあの情熱の発生を、自分に納得のいくように考えてみると、それが、山川のように、ほとんど人の目にもつかぬささやかな源から出ていることがわかる。しかし、それは、進むにつれて水量を増し、急流となってついに、私の望みや喜びをすべて押し流してしまったのだ。
自然哲学、それが私の運命を左右した魔神なのだ。だから私は、話を続けるにあたって、この学問を偏愛するにいたった事実を述べたいとおもう。私が十三のとき、私たちはみんなで、トノン附近の温泉場に遊びに出かけたが、あいにく天候が悪かったので、やむをえず宿屋に一日閉じこもった。この家で私は偶然、コルネリウス・アグリッパ([#ここから割り注]一四八六―一五三五、ドイツの神秘哲学者――訳註[#ここで割り注終わり])の著作を一冊見つけた。何気なく開いてみたのだが、著者が論証しようと企てている理や、著者が語っている驚異的な事実が、私の冷淡な感情をまもなく熱狂に変えてしまった。ひとつの新しい光が心に射しこんできたような気がしたので、喜びに心をはずませながら、父にこの発見を伝えた。すると父は、書物のとびらをむぞうさに眺めて言った、「おやおや! コルネリウス・アグリッパかい! ヴィクトルや、こんなものでおまえの貴重な時間をつぶしてはいけませんよ。それはくだらないものだ。」
もしも父が、こんなことを言うかわりに、アグリッパの原理はすっかり陳腐になっていて、今では、古いものよりずっと大きな力のある近代的な科学体系が採り入れられている、というのは、昔の科学の力がふわふわして捉えどころがないのに対して、近代のは真理にかなっていて実際的であるからだ、ということを説明するだけの労を取ってくれたとしたら、ああいう事情のもとにあったのだから、私はきっとアグリッパをわきへ投げ棄て、もっともっと熱心に前からの研究に戻って、私の想像力を昂奮したままで満足させたことだろう。私の一連の考えが、自分を破滅にみちびいた致命的な刺戟を受けるということさえ、なかったかもしれない。しかし、父は私の本をちょっと眺めたばかりだったので、父がその内容をよく知っているとはうなずけなかった。そこで私は、それをむさぼるように読みつづけた。
家に帰ってからの私の最初の用事は、この著者の全著作と、そのあとでパラケルスス([#ここから割り注]一四九三―一五四一、スイスの医師、化学者[#ここで割り注終わり])とアルベルツス・マグヌス([#ここから割り注]一二〇六―八〇、トマスの師、ケルン大学に教えた科学的な博学者[#ここで割り注終わり])の著作を買い求めることであった。私は大喜びで、これらの著者の放恣な空想を読み、かつ研究したが、そういうものは、私以外の人のほとんど知らない宝のような気がした。私は自分を、自然の秘密を洞察しようという激しい憧憬にいつも浸っている者だと称した。近代の哲学者たちの烈しい労作やすばらしい発見にもかかわらず、私はいつも、自分で研究してみたあげく、不満と不足を感じるようになった。アイザック・ニュートン卿は、自分は、まだ探検されない大きな真理の大海の岸で貝殻を拾っている子どものようなものだ、と言いきったという。自然哲学の各部門でこのニュートンのあとを継いでいる人たちと私は親しんだが、この人たちは、少年の私が理解してさえ、同じ研究に従っている初心者のようにおもわれた。
人に教えてもらわない百姓でも、自分のまわりの自然力を見て、その実察的な用途をよく知っているものだ。それなのに、たいへん学問のある哲学者だって、それ以上のことは、あまり知らなかったのだ。そういう哲学者は、部分的には「自然」の顔のヴェールをはがしたが、この「自然」の不滅の相貌は、今なおひとつの驚異、ひとつの神秘なのだ。哲学者
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