私がすっかり見失ったら絶望して死にはしないかと心配して、私の目じるしになるものを何か残していった。雪が頭に降りかかると、白い平原に、やつのでっかい足あとがついているのが見えた。はじめて実地の経験をお始めになる、苦労というものがまだもの珍らしくて未知の悩みでしかないあなたにとっては、私の感じた、また今でも感していることを、どうして理解できるでしょう。寒さ、窮乏、疲労などは、私が堪えぬく運命におかれた苦しみのうちの、いちばん楽なものであった。私は、ある悪魔に呪われ、永遠の地獄を持ち歩いたのだが、それでもなお守護天使があとについてきて、私の歩みを導いてくれ、どうにもならなくなって呟くと、とても越えられそうもないと思った困難から、たちまち救い出してくれるのであった。ときには、飢えのために参って体がへたばったような時に、荒野のなかに私の食べるものが置いてあって、そのおかげで恢復して元気づくこともあった。その食べものは、なるほど、その地方の百姓たちが食べるような粗末なものであったが、それは、私が助けたまえと祈った精霊たちが用意してくれたものであることを、私は疑わない。すべてが乾ききって、空に雲ひとつなく、喉が渇いてからからになったような時にも、よく、薄雲が空を蔽い、私を生きかえらせる数滴の雨を降らせて消え去ることがあった。
私はできるだけ河すじを辿って行ったが、悪魔はたいてい、国の人口が主としてそこに集まっているので、河すじを避けて歩いた。そのほかの所では、人間はめったに見られず、私はそういう所ではたいてい、道で出くわした野獣を殺して飢えを凌いだ。金を持っていたので、それをやって村の人たちと仲よくなったし、そうかとおもうと、殺した食料の獣を持っていって、少しばかり自分で取ってから、それをいつも、火や調理道具を貸してくれる人たちに与えたりもした。
こんなふうにして過ごしたので、私の生活は自分ながらじつにいやで、私が歓びを味わえるのは、ただ眠っているあいだだけであった。おお恵まれた眠りよ! どれほどみじめな時でも、よく私はぐっすりと寝こんだが、そうすると夢にあやされて、うっとりとなるくらいだった。私が行脚をしとおすだけの力を持ちこたえれるようにと、私を見守る精霊が、幸福のこういう瞬間、否、むしろ時間を与えてくれたのだ。こういう休息が奪われれば、私は艱難辛苦に参ってしまったことだろう。日中も私は、夜の希望に支えられ元気づけられた。眠ると、身うちの者や妻や愛する母国が見えたからだ。また、父の慈悲ぶかい顔が見え、エリザベートの声の銀のような音調が聞え、健康と青春を享楽するクレルヴァルの姿が現われた。ほねのおれる歩行に疲れると、私はよく、夜になるまでは夢をみていて、夜になったらなつかしい人たちをほんとうに抱くのだ、と自分に言いきかせた。この人たちに対して、私はなんという苦しい愛着を感じたことだろう! ときには私が歩いているさいちゅうにさえこの人たちが附きまとって、まだ生きていると思いこませたので、どれほど私は、そのなつかしい姿にすがりついたことだろう! そういう瞬間には、私の内部に燃えていた復讐の念が、胸のなかで消え、自分の魂の已みがたい願望としてよりも、天から言いつけられた仕事として、つまり自分にはわからぬ何かの力の機械的衝動として、悪魔退治に向って自分の道を辿るのであった。
自分の追跡している者の気もちがどんなものであったか、私にはわからない。ときには、まったくのところ、やつは、木の皮に書き石に刻んで目じるしを残し、そうすることで、私に道を教えたり、私の怒りを煽ったりした。「おれの支配はまだ終っていない。」(やつの書きつけたものの一つに、そんなことばが読まれた)、「おまえは生きているし、おれの力も完全だ。ついて来い。おれは北方の永遠の氷を目ざして行く。そこでは、おれには苦しくもなんともない寒さと氷雪のつらさが、おまえにはこたえるだろう。おまえがあまり遅れないでついてくれば、この近くに死んだ兎を見つけるだろうから、食べて元気を出せ。来い、敵よ。われわれはまだ、命のやりとりをしなければならないわけだが、その時がくるまで、おまえは、数々のつらいみじめな目に会わなくてはならないぞ。」
嘲笑する悪魔め! 私はまたまた復讐を誓うぞ。あさましい畜生め、私はふたたび、おまえの運命を、苛責と死へと追いつめるぞ。どちらか一方が斃れるまで、私はこの追求をやめないだろう。どちらかが斃れたら、私はどんなに歓んで、エリザベートやそのほかの亡くなった親しい者に会うことだろう! この人たちは今でも、このあきあきするような難儀や怖ろしい行脚の御褒美を、私のために用意しているのだ。
さらに北方へと旅をつづけるにつれて、雪は深くなり、寒気もきびしさを増して辛抱できないくらい
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