トを出る前に、寒さを感じたので、着物をいくらか着ていたのだけれど、それでは夜露を凌ぐには足りなかった。わたしは、貧弱な、自分ではどうすることもできない、みじめな者で、何も知らず、何も見分けることができないのに、どこからもここからも襲いかかる苦痛を感じて、坐って泣いた。
「まもなく、なごやかな光がこっそりと空に現われ、わたしに嬉しい感じを与えた。わたしははっとして立ち上り、木々のあいだから光り輝くもの(月)が昇ってくるのを見た。驚異のおももちで眺めたものだ。それは動く、ともなく動き、わたしの道を照らしてくれたので、また木の実を探しに出かけた。まだ寒かったので、一本の樹の下で大きな外套を見つけると、それをかぶって地面に坐りこんだ。はっきりとした考えが頭にうかばず、何もかもごちゃ混ぜだった。わたしは、光、飢え、渇き、暗やみを感じたし、数かぎりない物音が耳にひびき、八方からさまざまな匂いが漂ってきた。はっきりと見定めることができるのは、明るい月だけだったので、わたしは喜んでそれを見つめた。
「昼と夜が交替して幾日が過ぎると、夜の球体が虧けてほっそりとなったころには、わたしは自分の感覚をそれぞれに区別しはじめた。わたしはだんだん、水を飲ましてくれる清らかな流れや、わたしを葉で覆う木々がはっきり見えるようになった。たびたび耳に入ってくる気もちのよい音が、再々わたしの眼から光を遮った小さな翼のある動物の喉から出る、ということが、はじめてわかって喜んだ。わたしはまた、身のまわりの形を、ごく正確に観察しはじめ、わたしに覆いかぶさる輝かしい光の屋根の境目に気づいた。ときには、鳥の楽しい歌をまねようとしたが、できかねた。ときには、自分の感情を自己流に表わそうと思ったが、自分から出た異様なわけのわからぬ声にびっくりして、また黙り込んだ。
「月は夜になっても見えなくなったが、わたしがまだその森にいるうちに、虧けた形でまた現われた。このころには、感覚がはっきりしてきたし、頭には日ごとに観念がふえてきた。眼が光に慣れてきて、正しい形に物が見え、昆虫と草の区別がわかり、そのうちにだんだん、草の種類を見わけるようになった。雀が耳ざわりな音でしか鳴らないのに、鶫《つぐみ》の類が甘美な、心をそそるような声で鳴くこともわかった。
「ある日、寒さにかじかんでいるとき、どこかの宿なし乞食たちが残していった火を見つけ、そのために味わった暖かさにすっかり喜んだ。喜びのあまり、燃えている燠に手を突っ込んだが、悲鳴をあげてすばやくその手を引っこめた。考えてみたって、同じ原因で、こんな反対の結果が出てくるなんて、どうもふしぎだ! 火の材料を調べてみて、それが木で出来ていることがわかって嬉しくなった。さっそく木の枝を幾本か集めたけれども、それは、湿っていて燃えなかった。これには悲しくなって、じっと坐りこんで火のはたらきを見守っていた。すると、火の近くにあった木が乾いて、ひとりで燃えてきた。わたしはそのわけを考えてみて、いろいろの枝に蝕って原因を見つけ出し、急いで薪をどっさり集め、それを乾かして、火をどんどんといくらでも焚けるようにした。夜になって眠くなると、火が消えやしないかとたいへん心配した。そこで、乾いた薪や木の葉をかぶせ、その上に湿った木の枝をのっけてから、外套をひろげて地面に横になり、そのまま眠ってしまった。
「けれども、食べものが乏しくなったので、腹の虫をなだめる三つか四つのどんぐりのために、むなしく探しまわってまる一日をすごすこともたびたびあった。このことがわかると、これまで住んでいた場所を離れて、自分のわずかな欲望がもっとたやすくみたされるような場所を探した。この移住に際して、偶然に手に入れた火を失うことが、たいへん残念だった。というのは、それをどうしてつくるか知らなかったのだ。この困ったことについて何時間もしんけんに考えたが、それを確保する試みはみな思いきらなければならなかったので、外套に身をくるみ、森をよこぎって入り日に向って出発した。この放浪に三日間をついやし、おしまいに広々とした土地を見つけた。その前の夜に大雪が降ったので、野原は一様に真白で、そのありさまはうらさびしく、地面を蔽ったつめたい湿ったもので足が冷えるのがわかった。
「朝の七時ごろで、食べものと隠れる所がほしくてたまらず、たしか羊飼いの便宜のために小高い所に建てた小っぽけな小屋を見つけた。これは、わたしには目新しいものだったから、たいへん好奇心をもってそのしくみを調べた。すると扉が開いたので、中に入った。一人の老人が火のそばに坐って、朝食を用意しているところだった。老人は物音を聞いてふり向き、わたしを見つけて大きな金切り声をあげ、小屋を飛び出して、その老いぼれた体では出せそうもないような速力で、原っ
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