影はすばやく私のそばを通って、闇のなかに見えなくなった。人間の皮を被ったものなら、あんないい子を殺すわけがない。あいつ[#「あいつ」に傍点]が殺したのだ! 私はそれを疑うことができなかった。こういう考え方があるということだけでも、事実だということの争うべからざる証拠だった。私は悪魔を追いかけようとしたが、それはむだだった。というのは、つぎの閃光に照らされたのを見ると、そいつは、南でプレンパレーと境するサレーヴ山という丘陵のほとんど垂直に聳える岩のあいだに、ぶらさがっていたからだ。そいつはまもなく項上に達して見えなくなった。
 私はそこにじっとしていた。雷は止んだが、雨はまだ降りつづけ、あたりは見通しのきかぬ闇にとざされた。
 その時まで忘れようと考えていた出来事が、つぎつぎと心に浮んだ。すなわち、生きものをつくるまでの自分の進歩の全系列、自分の手でつくったものが私のそばに現われたこと、それが立ち去ったことなどが。あいつがはじめて生を享けてからも二年近く経っているが、それがあいつの最初の犯罪だったのであろうか。ああ、私は、虐殺や惨劇を喜びとする邪悪なやつを、世の中に野放しにしてしまったのだろうか。そいつが弟を殺したのではなかろうか。
 私は、その夜を、野外でつめたく濡れたまま明かしたが、そのあいだの苦悩を、誰が言い表わせるだろう。私は、天候の悪いことなどは感じないで、禍や絶望の場面をしきりに想像した。自分そのものの吸血鬼、墓穴から放たれて親しい者を残らず殺すことを余儀なくされた自分そのものの霊に、親しく照らしてみて、私が人間のなかに追い放ったもの、そいつがもうやっているような恐怖の目的を逐げるための意志と力を与えてやったものを考えた。
 夜が明けてから、私は町のほうへ足を向けた。門が開いたので、父の家へ私は急いだ。私の最初の考えは、殺害者を私が知っているということをうちあけて、すぐ追いかけるようにすることだった。しかし、自分の語る話のことを反省してそうするのをやめた。自分がつくって生命を与えたものが、真夜中に、人の近づけそうもない山の絶壁のあいだに見えた、という話なのだ。また、その創造が成ったちょうどそのときにかかった神経的熱病を思いかえしてみても、そうでなくてもまったくありうるはずもない話が、そのためのうわごとみたいなことにされてしまうにちがいない。誰かほかの人がそ
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