]激情に逐われる私たち自身の影にほかならないという、痛烈な浪曼的イロニーがあり哀しみがある。そして同時に、それにもかかわらず人間の愛や徳を護りぬこうとする悲劇的な闘いがある。私たちの内部にはいずれも、影法師のように巨大な、呼べば応える、醜怪なフランケンシュタインがおり、重々しい噴泉のような激情でもって背後から私たちを逐い立てている。そして、ときには、私たちと面を突き合せてポーの大鴉のように羽搏く。ここに、この作品の不朽の生命があるのであろう。
しかし、日本では、その名のわりあいにあまり読まれておらず、訳されてもいないらしい。すくなくとも、全訳としてはこの拙訳が最初ではないかとおもう。
一九五三年六月二十五日
[#地から2字上げ]訳者
底本:「フランケンシュタイン」日本出版協同
1953(昭和28)年8月20日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(大石尺)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2009年8月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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