めに与えるものであり、すべての人々から、各自の目的の追求が適当であったか否かの責任を奪うものであり、各自の使命の遂行が道徳的であったか否かの責任を奪うものである。」――私はこれだけの記述しかしない。共産主義が正しいか。個人主義が正しいか。それとも共に誤であるのか。または共に理由があるものなのか。我々は未だにこの論争を尽していない。私は今これらの学説に評価を下さないし、より詳細な解説も加えない。ただ、所有権問題の目的を広汎で完全な立場から見たならば、それが正確にはいかなるものであろうかを理解せしめようとしたに過ぎない。ところでこの目的は、本質的には、社会的富の専有に関して人格と人格との関係を定めるのに、理性と正義とに合致するように諸人格の使命を調和することにある。故に専有の事実は、本質的には道徳的事実であり、従って所有権の理論は、本質的には道徳科学に属する。Jus est suum cuinque tribuere. 正義とは、各人に属する物を、各人に得せしめるにある。だから各人に属する物を各人に得せしめることを目的とし、正義を原理とすれば、その科学は社会的富の分配の科学であり、私が呼ぶ
前へ
次へ
全572ページ中111ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
ワルラス マリー・エスプリ・レオン の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング