役の価格(賃銀、地代、利子)の決定の理論と純収入の率の決定の理論とを説いたが、これらはジェヴォンスのそれとは著しく異っている(四)[#「(四)」は行右小書き]。
一八七九年に、当時ロンドン大学教授であったジェヴォンスは「経済学の理論」の第二版を公にし、この第二版の序文中で(Pp. XXXV−XLII)、数理経済学の建設の先駆性を一部分ドイツ人ゴッセンに認めている。私がこの先駆性をジェヴォンスに認めたことは、既に読者が知る如くである。ゴッセンについて私は、一八八五年四月及び五月の 〔Journal des e'conomistes〕 に、「忘れられた経済学者ヘルマン・ハインリッヒ・ゴッセン」と題する一文を公にした。その中で私は、ゴッセンの生涯と著書についての解説を与え、併せて、二人の先駆者の著作があるにもかかわらず、新理論のうち結局私自身のものとして残されるべき部分を定めようと努力した(五)[#「(五)」は行右小書き]。この点を、本書の第十六章の末尾の一節で、再び明らかにするであろう。その所で読者は知られるであろうように、交換において稀少性を考えることのいかに重要であるかは、一八七二年
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