《おさ》へ殺したんだな。今に敵《かたき》を討《うつ》てやるぞ!」と、叫びながら、鋭い牙《きば》を剥き出しました。
 熊と猪は、かみ合ひました。そして、日の暮れまでもお互に争つてゐました。


    五
 京内《きやうない》が里の茶店でお菓子を買つて貰《もら》つて、佐次兵衛《さじべゑ》に伴れられて山小屋へ帰つて来たのは、其《そ》の翌日でありました。
「さ、もう駄々《だだ》をこねるんぢやアないよ、お前のお蔭《かげ》で昨日今日は二人とも遊んで了《しま》つた。」と云《い》ひながら、佐次兵衛は京内をつれて谷川へ水を汲《く》みに行つて見ると、これはまあ何といふ事です。大きな猪《ゐのしし》と大きな熊《くま》が、二|疋共《ひきとも》引掻《ひつか》かれて、噛切《かみき》られて、大怪我《おほけが》をして死んで居るぢやありませんか。しかも二疋とも大きな石を腹の下に抑へて、頭を並べて死んで居るのです。能《よ》く/\見ると、石の下から小い黒い獣《けだもの》の足が二寸ばかり外へ出てゐました。
 佐次兵衛が猪と熊とを引除《ひきの》けて石を引起した時、京内は可愛い可愛い熊の子が、赤い舌を出して死んでゐるのを見まして、ポロポロ涙を流しました。
「なア、畜生でも……これは屹度《きつと》この小い熊の子の為《ため》に親同志が喧嘩《けんくわ》をして死んだのだらう……」と云つてゐる時、藪《やぶ》の蔭《かげ》からコソ/\と小い猪の子が出て来て、直《す》ぐ逃げてしまひました。
 佐次兵衛は、此《こ》の三疋の獣の為めに叮嚀《ていねい》にお葬式をしてやりました。
 それから京内は大変孝行な子供になつて、一生懸命にお父さんと一緒に働いて名高い炭焼になりました。今に木炭は紀州の名高い産物の一つであります。



底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「赤い猫」金の星社
   1923(大正12)年3月
初出:「金の船」キンノツク社
   1919(大正8)年12月
※「不幸」と「不孝」の混在は、底本通りです。
入力:tatsuki
校正:田中敬三
2007年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボラン
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