熊は黒ちやんでも、なか/\悪口は達者と見えます。
「アイタタ、まあひどいのネ此《こ》の児《こ》は。母ちやんのお乳から、こんなに血が出るぢやないの。」
 お母《つか》さんは、ちよいと睨《にら》む真似をしました。
「お乳は嫌、もつと/\旨《おい》しいもの頂戴。」
「そんな無理を、お言ひで無い。それは親不幸といふものです。」
「不幸でもコーコーでも宜《い》いワ。もつと旨《おい》しいもの食べさしてお呉《く》れ、え、おツ母《か》さん。」
「仕様が無いね。此の子は、」とおツ母さんは暫《しばら》く考へてゐましたが、
「坊やは何が好き? 蟻《あり》? 栗《くり》?」とたづねました。
「嫌だ/\、そんなもの皆《みん》な嫌だ、もつともつと甘くつて旨《おい》しいものが欲しい……」と、黒ちやんはいひました。
「困つた事を言ふのネ、あ、さう/\蟹《かに》……、蟹を食べた事があつて? あの赤アい爪《つめ》のある、そうれ横に、ちよこ/\と這《は》ふ……」と、お母さんは、また優しくいひました。
「食べた事無いワ、蟹なんて……そんな物|旨《おい》しい? え、本当に旨しい?」
「えゝ/\、夫れは本当に旨《おい》しいのよ。これから谷川へ行つて、うんと捕つて来てあげるから、此所《ここ》で温順《おとな》しく待つておいで。」
「イヤ、イヤ、坊やも一緒に行く。」と足摺《あしず》りをしながら、黒ちやんは強請《ねだ》りました。
「此所に温順《おとな》しくしておいで、ね、賢い児だから……」と言つて、お母さんは黒ちやんの背《せなか》を優しく叩《たた》いてやりました。
「嫌だ/\、一緒に行く。伴《つ》れてつて呉れなければ耳を噛み切つてやる!」と、黒ちやんは泣きながら無理を言ひました。
「アイタタ、何といふ乱暴な子だらう、此の子は。よし/\仕方がない。では伴れてツてあげやう。さ、そうツと降りるんだよ。おつこちて怪我《けが》をしないやうにネ。」
 熊のおツ母《か》さんは、たうとう黒ちやんの強情に負けてしまひました。


    三
 丘の所に大きな猪《ゐのしし》が一疋《いつぴき》の可愛い坊やと一緒に臥《ね》てゐました。おツ母さんは、坊やの背《せなか》を叩《たた》きながら、
「坊や、もう段々お昼になつて来るから、寝んねするんだよ。昨晩《ゆふべ》は能《よ》く遊んだネ。狸《たぬき》を脅かしてやつたツて、夫《そ》りやア偉かつたネ
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