を見ましたが、なんのことやら、さつぱり、わかりませんでした。
博士は、そのくわんづめを、かんごふさんに、あけてもらつて、食べて見ましたが、じつに、うまい栗でしたから、もつと、買つてきて下さいと、たのみました。
間もなく、博士のへやには、源八栗の、くわんづめが、三十も四十も、あつまりました。それは、博士が、このくわんづめが、すきだといふので、みんなが、おみまひに、もつてきて、下すつたからです。
ある時、二人づれの、見まひきやくが、びやうゐんへ来た時、源八栗のしるしを、見てゐた一人が、
「このゑに、かいてある、人のかほは、もうりい博士そつくりですね。」と、いつたので、博士も、かんごふも、こゑをそろへて、一どに笑ひました。しかし、博士は、それいらい、その、れつてるに、かいてあるかほが、自分のかほであるやうに、思はれてなりませんでした。で、博士は、びやうゐんを、たいゐんしたあとで、あふ人ごとに、
「あのね、わたしのかほを、かいてある、日本の栗は、本たうに、おいしいですよ。あれをお買ひなさい。」と、申しましたので、いつの間にか、その国では、源八栗のことを、博士栗《はかせぐり》といふやうになりました。
七
日本では、源八さんの工場が、だんだん、さかんになりました。
藤六さんは、もうひくわんなど、けつしていたしません。うらの山では、木のえだに、ひつかかつた藤かづらが、まだそのままに、風に吹かれて、ぶらぶらしてゐます。山がらや、ほほじろが、そのかづらのわに、とまつて、面白い歌を、うたつてゐます。
底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「童話読本 四年生」金の星社
1938(昭和13)年12月
初出:「金の星」金の星社
1928(昭和3)年1月
入力:tatsuki
校正:田中敬三
2007年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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