の人達は、此の掛軸の説明を愚助に願ひますと、愚助は、
「宜しい、明日の朝までに見て置くから、明日の朝、お寺の鐘が鳴つたら、村の人達は、男も女も子供も、一人残らず集つていらつしやい。」と、申しました。
 村の人達は、愚助が、此の掛軸の説明をした書物を見るのだと思ひました。しかし愚助は、蒲団の中で眼を閉ぢて、和尚に教へられた説明を考へて見たのでした。
 鐘が鳴りました。村中の人は、一人のこらず集つて来て、本堂の縁側まで、ぎつしり一杯に坐りました。
 愚助は石油箱を持つて来て、其の上に登りました。そして先《ま》づ孔子と老子と釈迦とキリストの履歴を詳しく話しました。
 それは和尚に教はつた通り、一言も間違はないで話したのです。
 村の人達はみんな驚きました。
 それから愚助は、一段と声を張り上げて、
「皆さん、この絵は、四|聖吸醋之図《せいきふさくのづ》と申しまして、四人の聖人が、お醋《す》を嘗《な》めてゐるのです。」と、言つた時、多勢は一度にどつと笑ひました。
「お待ちなさい。笑ひ話ではありません。右の端の孔子様は、此の壺の中のお醋を嘗めてみて、これは酸つぱいと申しました。すると其の隣りの老子様は、酸つぱいものを酸つぱいといふのは夫れは常識である。しかし能《よ》く味《あぢは》つて見ると、此のお醋は少しく淡《あは》い。水つぽい味がすると申しました。それを聞いたお釈迦様は、醋を酸つぱいといふのは道理だ。酸つぱいが少し淡いと云ふのも最もだ。しかし、よくよく味つてごらん、此のお醋には甘い所があると申しました。そこで最後にキリスト様は、醋は酸つぱいものだ。それに此の醋は淡い。水つぽい。のみならず少し甘い。これは腐敗しかけてゐるのだ。これは打《ぶ》ちまけて、新しく醸《つく》り直すがよい。と、申しました。諸君、抑《そもそ》も此の四聖の言葉は……」
 愚助は二時間あまり詳しく説明しました。さあ、それを聴いた村の人達は、大変感心しまして、俄《には》かに愚助を「愚助大和尚」と崇《あが》め奉つて、こんな大和尚様を、こんな古寺に置くのは恐れ多いと云つて、早速お寺の改築に取かかりました。
 三年|経《た》つて、お寺が立派に改築出来ました時、和尚様は、ひよつこり帰つて来ました。
 和尚様は持つて出た大きな掛物を、やつぱり肩げてゐました。
 それは何処へ持つて行つても、大き過ぎると言つて買つてくれる人がなかつたからです。
 和尚様は、お寺が立派になつたわけと、愚助が大和尚様と崇《あが》められてゐるわけとを聞いて、腹を抱へて笑ひました。
 愚助は和尚様が帰つて来たので、又た元の小僧さんになつて、小学校へ通ひました。そして毎日忘れて、毎晩思ひ出して、はつきり覚えるのでした。
 村の人達は、また愚助が、馬鹿だか賢いのだか、解らなくなりました。



底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「童話読本 六年生」金の星社
   1939(昭和14)年2月
初出:「金の星」金の星社
   1925(大正14)年4月
入力:tatsuki
校正:田中敬三
2007年2月21日作成
青空文庫作成ファイル:
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