所を復習《おさらひ》してみました。ところが、一つだつて覚えてゐません。
「どうしたんだい。なんと見事に忘れてしまつたものだなあ。」と、言つて、和尚様は腹をかかへて笑ひました。
 愚助は和尚様に打《ぶ》たれるとばかり思つてゐましたのに、打たれなかつたばかりか、さも可笑《をか》しさうに笑はれたので、自分も何だか可笑しくなりました。
 其の晩でした。愚助は蒲団《ふとん》の中で眼《め》を閉ぢてゐますと、どこかで、「気をつけ。右向け右、前へおい。」と、いふ号令の声が聞えました。
「おや、あれは先生の声だな。」と、思つて、ぢつと、其のまま眼を閉ぢてゐますと、学校の庭が眼の前にありありと見えて来ました。
 庭には生徒が並んでゐます。生徒の中には自分の愚助も並んでゐます。
「おやおや、あそこにゐるのはおれだぞ。」と、言つて愚助はぢつと見てゐますと、受持の先生は生徒をつれて教場へ入りました。
 それから先生は算術を教へました。
「あ、あそこでおれが算術を習つてゐる。あ、手をあげた。答は百二十五。おれはなかなかえらいぞ……今度は読方だ。あ、おれが立つた。うん、すらすらと行詰《ゆきつま》らずに読んだ。おれはなかなかえらいぞ……今度は綴方《つづりかた》だ。あ、出来た。先生が感心してゐる。今度は習字だ。うまいうまい、おれが一番上手だ……今度は体操だ。あのおれが一番|活溌《くわつぱつ》だ。おれはなにしても一番だぞ……」
 いつの間にか、あたりは、ひつそりして、先生も生徒も愚助のおれも見えませんでした。
 愚助はすやすやと眠つてしまひました。そして翌《あく》る朝眼を覚しますと、和尚様は、
「愚助、早く起きて顔を洗つていらつしやい。御飯前に昨日習つたところを、復習《おさらひ》してあげます。」と、言ひました。
 愚助は顔を洗つて来て、算術の本と読本とをもつて、和尚様の前に出ました。所が不思議にも、昨日出来なかつた算術が、今朝《けさ》はみんな、ずんずんと出来ます。読本をあけますと、昨日一字も読めなかつた所が、今朝《けさ》はすらすらと読めます。和尚様も驚きましたが、愚助は尚更《なほさら》驚きました。
 それから御飯を戴《いただ》いて、学校へ参りました。帰つて来ますと、和尚様は復習《おさらひ》をして下さいました。愚助は今日習つた事を、一つだつて覚えてゐません。和尚様はまた腹を抱へて笑ひました。愚助も可笑し
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