ある。それだったら、会って話してみたかったと思ったが、どうせ会った所で詩人でなく美術家でない、散文的な私のことだ、先方に迷惑をかけるだけと思って、訪問にも出かけなかった。
      *
 カリフォルニヤ大学のカムパスの中央に聳え立つ高塔《カンパニール》は花崗石を三百七呎の高さに積み上げたルネッサンス式の建築である。ヴェニスの聖マークの高塔よりも僅か二十一尺の低さで、大学のカムパニールとしては、凡そ全世界にこれほど高いものはないと云う話である。
 此の高塔がカリフォルニヤ大学に建てられたについては、こんな話がある。
 大学の後援者の一人にセイン・ケー・セーサーという婦人があった。彼女の考では人間教育の骨子は、健全に文学を鑑賞させることと正当に歴史を会得させることにあるというのである。そこで彼女は此の加州大学の当局者に対して、二人の教授の俸給を永久に支払い得るだけのプロフェッサーシップファンドの寄付を申し込んだ。そして一人の教授は必ず古典文学を担当し、他の一人は史学を教授することにしてほしいと云った。大学ではその申込を受入れることとした。
 彼女は満足した。けれども彼女の寄付は一万幾千の大学生の中で、単に文学と歴史を学ぶもののみに恩沢を与えるにとどまる。それでは完全なる好意と云えない。そこで考えついたのが、此のカムパニールと、大きな校門とであった。高塔は文学の象徴であり、校門は歴史の標号である。毎日毎日三百七|呎《フィート》の高塔から美しい鐘の音が音楽となって鳴り響く。夜も昼も無数の老若男女が流れ来り流れ去る此の校門は、正に歴史のペエジペエジに現われ消え去る人々の姿なのである。
 ヨネ野口の師事したウオーキン・ミラーという詩人で名高いバークレーの街を、ずんずん山手に登った所にテレグラフという大通りがある。オークランド方面から此の大学に来るには最も便利な電車通りだ。その北の終点が加州大学であり、そこの入口にある校門が、謂う所のセイサアゲエトで、花崗石の巨大な門柱が中心になって、その外に稍小さい石柱が二本ずつ並んで副門を作っている。柱上には青銅のブリッジが渡されて、セイサアゲエトという文字が浮彫りにされ、礎石には『千九百十五年』という文字が刻まれている。
 此の門を入ってアスファルトの歩道を右に折れ更に左に曲ると、カムパニールの下に出る。近づけば近づく程高く見える。それも
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