・ブラウニングに捧げし記念塔あり。この高嶺は千九百十九年オークランド市の所有となる。』
それは青銅のタブレットにきざまれた文字であった。
破れた窓から中をのぞいてみると、薄暗い室に素朴頑丈な椅子やテエブルが無造作におかれてある。この椅子に掛けて、このテエブルにもたれて、詩翁《しおう》は、ヨネ・ノグチの若い顔に何を話しかけたことであろうなどと思っていると、見ぬ詩翁の顔は浮んで来ないが、ヨネ・ノグチのあの顔が眼底に見えて来る。
近づいて来た老人にきくと、ミラー翁がここに来た頃は、まだ狼が夜な夜なさまよい出て物すごくほえたそうで、夫人も娘も恐ろしがってここへは来なかったそうである。
『詩人ミラーはひとりでいたんですか。』
当然なすべき質問であった。
『名前は知らないが、日本人がいて炊事を助けたという話しです。』と、老人は答えた。
『その日本人の名はヨネ・ノグチといいませんでしたか。』
『知りませんね。』
老人は、とことこ歩み去った。老人の行った方を見ると、半町ほど隔った所に小さい木造の家がある。
ユーカリプタスの落葉を踏みながら、だらだら坂を登って、その家に近づいて入口からのぞくと、裏口のドアの蔭に、つぶれそうな古い籐椅子に腰をおろした婆あさんがいる。
婆あさんは、こちらをむいて何だかいう。耳をそばだてると
『オーキン、ウオーキン、ウオークイン。』と聞こえる。
呼びかける老婦人こそ、詩人ウオーキン・ミラーの未亡人で、夫の名を呼ぶつもりで『おはいりなさい(Walk in)』といっているのである。
近よると如何にもうれしそうな顔で『ウオーキン』とも一度いって、ウオーキンの意味を説明する。
夫人は黒い僧服のようなものを着て、白い首飾りをかけている。それが何だか物すごい感じを与える。今のアメリカにもこんな女がいるかと疑われる。北欧の森林からでもぬけ出して来た婆あさんらしく、今にぶつぶつと呪文でも唱え出しそうである。けれども夫人の顔には一種独特の艶があり、その眉宇にはある物を威圧する力がある。
『あなたは日本人ですね。』
『そうです。』
この短い会話は老婦人を俄かに興奮させた。
『ヨネ・ノグチは、あれは天才です。本当に天才です、今に達者でボーイ達を教えているそうだが、あんな詩人の教育を受けるボーイ達は幸福です。それからミスター・カンノはえらい男です。どんな苦労
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