た。
ごん七さんところの三階は、平家になりました。
ごん八さんところの平家は、とりはらはれて、そこは、瓦を、かはかす場所になりました。
ごん七さんところの平家は、取りのけられて、そのあとは、瓦をやく所になりました。
あくる年の四月に、京一さんも今雄さんも、同じ一番で六年級になりました。
ごん七さんの、やく瓦は、石ころでたたいても、こはれないといふ評判が、日本中へ、ひろがりました。
ごん八さんの、やく瓦も、投げたつて、こはれないといふ評判が、高くなりました。
そして、東山も西山も、だんだん商売が、はんじやうしました。
東山の上から、赤い旗を振つて、
「きみのところへ どうわとくほんが つきましたか。」と、信号しますと、西山の上から、
「つきました あすのあさ がくかうへ もつていつて かして あげます。」
と、あひづをしました。
ごん七さんは、今雄さんが、旗をふつてゐるのを見て、
「もう、鬼瓦がないんだから、旗をふらないでも、いいぢやないか。」と、叱《しか》るやうに言ひました。
ごん八さんも、京一さんの、旗を振るのを見て、
「もう、下らない競争はよせ。」と、叱るやうに言ひました。
あくる日、今雄さんと京一さんとは、学校の裏庭で、相談しました。そして、その日の夕方、おうちへかへつて、今までの事を、すつかり、白状することにしました。
ごん七さんも、ごん八さんも、二人ながら、自分の子供さんの、かしこいのに、感心しました。
それから、東山と西山とでは、毎日、赤と白との旗をふるやうになりました。それは、東山へ瓦の註文があつても、瓦の足りない時は、西山へ旗をふつて、足りないだけを、すぐ持つて来てもらふのです。そのかはり、西山へ瓦の註文が有りすぎた時は、その半分を、東山でやいてもらふやうに、旗をふつて、たのむのです。その信号手は、いつも京一さんと、今雄さんでした。
東山と西山とが、仲《なか》よくなつた時、世間の人は、両方の瓦を、
「打つても投げても、こはれない瓦だ。」と、いつて、ほめました。
底本:「日本児童文学大系 第一一巻」ほるぷ出版
1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「童話読本 五年生」金の星社
1939(昭和14)年2月
初出:「金の星」金の星社
1925(大正14)年2月
入力:tatsuki
校正:田中敬三
2007年2月21日作成
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